「もう大丈夫だね」という言葉がつらい

こんにちは。

この記事は以下の一連の出来事の17記事目です。 blog.wackwack.net

この記事を含めてあと3回ほどで終わる予定ですが、今回は出来事というか娘が超未熟児として生まれてから周りの人との関係で感じたことを書きます。

「もう大丈夫だね」

娘が生まれた直後はもう何が何やら分からず、周りの人(主に職場)に子どもの話をする気にもなれませんでした。

しかし1ヶ月ほど経つと、少しずつ「お子さんどう?奥さんどう?」と聞かれる機会が出てきました。

率直な気持ちとして

「どうって言われても.....」

というのがありました。


「心臓の動脈管が閉じなくて手術になるかもしれません。」

「まだ酸素も外れて無いし、在宅酸素になるかもしれません。」

MRI検査もできていないので脳に異常があるかもしれないけどまだわかりません。」

「妻は時おり自分を責めて泣き出します。辛いです。」


というのが正直なところです。でも、こんなこと人に言いたくないです。だから、

「まだまだ分からないけど、体重も順調に増えてお世話もしてます!妻も自分たちでお世話するのが楽しそうです!」

と暗い雰囲気を極力抑えて伝えます。

すると、

「よかったね」「順調そうだね」「あとは退院するだけだね」

と返ってきます。


もちろん元気づけようとしてくれているのは分かります。でも、

「何が?」

と思ってしまうんです。


この状況の何がいいんだろう。いつ呼吸が止まるかも分からないし、どんな病気が出るかも分からない。今が良くても明日どうなっているか分からないのに。

無事に退院したとして、そのあと数年は発達が同年代の子に追い付くか、気にしながら暮らさないといけない。早く生まれたから抗体が十分にできていなくて、普通の子よりも風邪をひきやすかったり重症化するから心配も絶えない。28週未満で生まれた子の20%は何らかの後遺症が出ると言われた。それは成長してから分かるかもしれない。退院すれば他の子と同じになる分けじゃないのに、退院がゴールじゃないのに。

そんな思いが頭を駆けめぐり、心をざわつかせます。

「元気になるよ」

また

「私の知り合いの子も小さく生まれたけど元気に大きくなったから大丈夫!」

と励まされることもあります。


でも小さく生まれた”だけ”で同じに並べることはできません。

たとえば2,000gで生まれた子と700gで生まれた子。どちらも「小さく生まれた子」です。

だったら生まれた後の状態や経過が同じかと言えば、全く違います。在胎週数が1週間でも1日でも長い方が予後は良くなります。でも、必ずしもそうではありません。娘は在胎25週で生まれましたが、それよりも長くお腹の中にいても娘より状態が悪い子もいます。

未熟児の予後は在胎週数や母胎の状態、生まれたときの子の状態で大きく変わります。「小さく生まれた」というだけで、自分が知る一例だけで他の子と比べることはできません。

だから「大丈夫」と言われてもこちらとしては「あ、そうなんですね。」としか言えません。そして

「在胎週数は?出生体重は?早産の原因は?生まれてからの経過は?」

と問いただしたくなります。


このへんの感じ方は私が超ネガティブ思考というのもあって、もっとポジティブに捉える人もいると思います。

ですが元気付けようとする周囲の言葉は私の心をざわつかせます。

「良いように考えよう」なんてことは、とっくに自分に言い聞かせています。それでもやっぱりマイナスのことを考えてしまう。そんな葛藤の中、なんの根拠もない他人の言葉を素直に受け入れられる余裕はありませんでした。この頃信じられる他人と言えば事実を隠さず伝えてくれる病院の先生だけでした。

「私も辛かった」

それは妻も同じで、というか妻の方が悪意の無い言葉に傷ついていました。

例えば正期産で子どもを生んでいる友人に早産となってしまったことを伝えた時。

「私も帝王切開で不安だったけど、大丈夫だったからあなたも大丈夫だよ!」

と言われたそうです。


もちろん妊婦さんにとって帝王切開が恐く、辛いものだとは分かっています。人には人の辛さがありますし、本来比べるべきものでは無いのかもしれません。

でも赤ちゃんにとって、そして私たち親にとって25週で生まれることと36週以降で生まれることには天と地ほどの差があります。

36週以降に生まれれば、脳出血や呼吸困難のリスクを事前に説明されることもないし、実際にそれが起こる可能性もほとんどありません。生まれてからも自分で抱っこできるし、ミルクもあげられるし、一緒に家に帰れます。

でも、未熟児はそうではありません。お腹にいることが危険で、生まれてからすぐに人工呼吸器をつけてNICUで集中管理。いつ病状が変わるかも分からず、当たり前ですが両親が抱っこしたりミルクをあげることはありません。一緒に家に帰れるのもいつになるか分かりません。

その大きな差を飛び越えて心境を汲み取ったかのように同列に励まされることほど、辛いものはありませんでした。

「元気に戻って来てね」

また妻の会社の上司や同僚からは

「来年は仕事たくさんあるから、待ってるよ!」

と、当然1年きっかりで育休から復帰してくるつもりで声をかけられていました。


生活もあるし、もちろんできるならばそのつもりです。

ですが、この時はまだ酸素が取れるかどうかも分からない状況。もしも在宅酸素になったら、療育可能な保育園を見つけなければいけない。そんな保育園の数は少なく遠方かもしれない。

そのような状況になったら、どちらかが会社を辞めなければいけないかもしれない。

子どもが生まれると同時に見えない将来の不安と戦っていた私たちにとって、職場からの当たり前の期待はとても重苦しいものでした。

「小さく生まれても人生に影響はない」

そして一番ムカついたのが、正規産で早生まれの子を持つ友人からの

「体が小さいことはその後の人生に影響ないよ!」

というものでした。

これは早生まれの早産児になった私たちの娘が小学校で上手くやっていけるのか、という不安に対する回答でした。


この友人は「早産児=少し小さい子=早生まれ 」くらいの認識しかありません。

早生まれのご両親の心配はわかります。一年ほど差がある子たちと同じ学年になるわけですから、それはそれは心配でしょう。

でも私たちの子は普通に生まれていれば、学年が一つ下になっていました。それが早生まれになってしまった。早く生まれたからと言って成長も早いのかと言うと違います。3ヶ月早く生まれた娘は生後3ヶ月経ってようやく生まれたての新生児に追い付くくらい。追い付ければいいほうで、大部分は同時期に生まれるはずだった新生児よりも発達は遅れる傾向にあります。

つまり、成長度合いでは5月に生まれた子たちと同じなのに、学年は一つ上に組み込まれます。

これが元気に生まれた早生まれの子と同じ状況なんでしょうか?


保険士さんや病院の先生からは「小学校に入るくらいには早生まれの子たちくらいには、成長が追い付く」と言われていますが、どうなるか分かりません。

就学を1年遅らせる就学猶予という制度もありますが、小さい子にとって周りと年齢が違うのはデメリットも大きくほとんど使う人はいないようです。そうすると発達度合いによっては普通学級ではなく支援学級になるかもしれません。

発達度合いだけではありません。未熟児は母胎からの抗体が十分に移行する前に生まれてくるため免疫力が普通に産まれた子よりも弱いです。普通に産まれた子が受けないような予防接種も受けます。風邪をひくと重症化しやすく、特に肺の悪化により入院するケースもあります。


何が「その後の人生には影響ない」んでしょうか。

あなたは子どもが生まれる前から生存率や発症する病気、それに伴う後遺症の説明を受けても同じことが言えるんでしょうか。

なぜ自分が経験もしていないのに、「小さい子」という誤った認識だけを根拠に同じ土俵で比べるんでしょうか。人には自分が想像もつかない苦しみがあると、なぜわからないのでしょうか。


いつかは風邪をひかないといけないし、腹を括らないといけないとも思っています。実際にどうであるかに関わらず「もう普通の子と変わらない」と思って、そう言い聞かせて暮らしていかなければなりません。でもそれを私たちに言い聞かせるのは私たち自身をおいて他にいません。決して他人から言われて決めるものではありません。

自分が知らない世界があるということを知ってほしい

....とここまでの感じ方はあくまで私の場合で、書いていてずいぶんとヒステリックだな、と自分でも思います。でも、程度の差はあれ未熟児で生まれた子を持つ親はこのようなことを感じているのも事実です。


私は自分たちを悲劇のヒロインにしたいわけでもないし、周りに同情してほしいわけでもありません。未熟児への理解があったほうが嬉しいけど、強制するつもりはありません。

未熟児で生まれた子に対する誕生日や学年の扱いを行政にもっと考えてほしいとも思いますが、それは超少数派の意見で全体最適化の観点からは諦めるしかないのかな、と思っています。


ただ、少しでも多くの人に

「自分が見ている、知っている世界は極々一部の狭い世界で、自分にとっての当たり前が当てはまらない人もいる」

ということを知って欲しいです。

具体的な事例を学ぶとか、その人たちに想いを馳せたりするとか、そんなことまでは求めません。私もここまで偉そうに書いてきましたが、私が知らない世界や人はたくさんいるでしょう。


でも「小さく生まれても大丈夫」とか「母乳で育ててるんでしょ?」とか「小さい子はお母さんから抗体もらってるから風邪ひかないんだよね」とか、自分が当然と思っていることがそうじゃないかもしれないと、少しだけでも立ち止まって気付いてほしい。


「そうなんだ」「大変だね」「頑張ったね」と当たり障りのない受け答えだけでもいいんです。

それで気持ちが救われる人もいるはずです。