こんにちは。
これは以下の出来事の14記事目です。
生後2週間頃
目を開く
生後2週頃になって目を開くようになりました。
と言ってもほとんど寝ているので、本当に一瞬です。実際、平日は仕事のある私はこの頃に目を開けているのは妻の写真でしか見ておらず、面会に行ってもずっと寝ていました。
印象的なのは目のほとんどが黒目だと言うこと。それはそれで可愛いのですが、やはり”普通”の赤ちゃんとは違って見えました。
本来はまだお腹の中にいる時期なのでそもそも”普通”と比べることはできませんし、ほとんど目は見えていませんが、何となく両親のことを感じ取ってくれていると信じて、面会に行くたびに一生懸命話しかけていました。
小さくてもお世話は必要
これは2週間頃どころか産まれて間もなくの頃からやっていることなのですが、1,000g未満の超未熟児で産まれても、両親ができるお世話はあります。
たとえばオムツ交換。超未熟児用のオムツとして5Sサイズのオムツが病院の売店で販売されていました。5Sサイズなので普通の新生児サイズから5段階小さく、まあめちゃくちゃ小さいです。
インターネットを探しても見つからないため、現代においてはある意味で非常にレアリティの高い商品かもしれません。ちなみに値段も高い。生産量が少ないことを考えれば当たり前なのですが、ここからサイズが大きくなっていくのに対して値段も割安になっていくのは妙な感覚でした。
そして体洗い。当然、風呂にじゃぼっと入れるようなことはできません。湿らせたガーゼですばやく丁寧に拭いていきます。お尻のあたりはうんちで汚れやすいため、少し泡を付けて拭き取ることもありました。
最初の頃、これらのお世話はそれはもう緊張しました。初めて親になった人は多かれ少なかれ経験するものですが、自分たちの目の前にいるのは手のひらに乗るサイズの小さな小さな赤ちゃん。
その赤ちゃんが寝ているコットに手だけを入れてお世話します。
「強く拭きすぎて血が出たら……」
「手を動かして赤ちゃんにぶつかったら……」
「持ち上げた時に落っことしたら……」
何もかもが文字通り”命がけ”の作業に感じます。
またお世話とは少し違いますが、印象的だったのは両手で赤ちゃんの手足を包み込む”ホールディング”と呼ばれる行為です。
お腹の中にいる赤ちゃんは自然と手足を丸めた格好で過ごしていますが、早くお腹の外に出てきてしまうとお母さんのお腹の位置を確かめようと足をグーッと伸ばしてしまいます。
そこで足の裏に手を当てて足を折りたたんで、そのまま両手で全身を包み込んであげます。そうすると赤ちゃんはお母さんのお腹の中にいるかのように感じて安心するのだそう。
これは私たちが面会に行ったは積極的にやるように言われ、それ以外のときにも看護師さんたちは頻繁にやっていました。
小さな体を自分の両手で包み込むと、その温かさが伝わり、安心して(いるのかどうか実際には分かりませんが)眠り込む我が子を見て、こちらも少しホッとした気持ちになりました。
動脈管は閉じた……?
生後間もなく診断された動脈管開存症は生後1週頃に点滴が外れましたが、徐々に開き始めたため再度の点滴となっていました。
ただ、主治医の先生の話では
「動脈管が開いていることでの体への負担はあまり大きくない」
とのことでした。その判断の根拠は色々あるのでしょうが、事実体重も順調に増えていき1,000gを超える目前まで来ていました。
一方でNICUは主治医一人だけで患者を担当するわけではありません。NICUに入院する未熟児たちは24時間の管理が必要であるため、常に当直の医師がおり、交替のタイミングでその場にいる医師全員で情報の引き継ぎが行われているようでした。
主治医が不在の時でも妻はあらゆる質問を近くの医師に投げかけていて、ある時に動脈管開存症について別の先生から、
「私は手術になるのではないかな、と考えていますがもちろん絶対ではありません。〇〇先生(主治医)はこのまま閉じるという見立てですが、それも絶対ではありません。とにかく言えることは状態を注視してみんなで話し合って治療方針を決めている、ということです。」
との言葉を受けました。(妻の質問がしつこすぎて半ば呆れ気味ではありましたが。)
私たちは主治医を信頼していないわけではありませんでしたが、やはり普段の話はあくまで経験則からの推測であり、その経験則すら医師ごとに異なるため、確実なことは何も言えないのだ、と改めて認識させられました。
そしてその言葉のとおり、後に動脈管開存症は手術することになります。
生後3週頃
胎盤の病理検査の結果
妻の早産の直接的な原因(になったと思われる)絨毛膜羊膜炎。
出産前のエコーでは絨毛膜羊膜炎であることは分かったものの、その進行がどれほどで胎児に感染しているのか、ということまでははっきりとしていませんでした。
出産後に妻の胎盤は詳しい病理検査に回され、退院後の定期検診でその検査結果が言い渡されました。
……と言っても私がこの検査結果を聞いたのはこのときから2ヶ月もあとのことでした。そのような検査結果の報告があるとは聞いていたのですが妻が何も言ってこなかったため、
「そんなに悪くはなかったんだろう」
と呑気に考えていたのです。
実際の検査結果はグレード1、とのことでした。
絨毛膜羊膜炎は進行段階によってグレード1から4までに分類され、グレード1は最も深刻度が低い状態を示します。
産科の先生からも
「グレード1なので、胎児への感染は無かったと考えても良いでしょう」
との話があったそうです。
産科の先生からは元々、
「仮に赤ちゃんに何か後遺症が残ったとしても、それが絨毛膜羊膜炎による感染が原因かは断定できない」
と言われていたため、まだまだ安心することはできないものの、すこしホッとできる結果でした。
しかしこの当時の妻はその結果を素直に喜べませんでした。そしてこれが、私にすぐに結果を伝えなかった主な理由だったようです。
病理検査の結果を聞いた妻はその場で、
「だったら、だったらもっとお腹の中に入れておいても大丈夫だったんじゃないですか!?」
と取り乱したそうです。
私たちは3週間前、絨毛膜羊膜炎の発症により胎児に危険が及ぶと先生方から言われ、悩んだ末に2ヶ月以上点けていた妻の点滴を外し、その日のうちに陣痛、出産となりました。
だから一瞬は「点滴を外さなければ……」とも思えます。
ですが、もちろんそんな単純な話ではありません。むしろ「25週で産まれたから絨毛膜羊膜炎の進行が軽いうちに出てこれた」とも考えられます。
何が正しかったのかは分かりませんし、それを責められる人もいません。
ですがこの時の妻はあまりにも自分を責めすぎていたため、一見すると前向きに捉えられる病理検査にも過敏に反応していました。
そんなことがあったとは知らず、呑気にかまえていた私。子どものことでは妻に一生頭が上がりません。
動脈管開存症は閉じたのか?
この頃、動脈管開存症に対する2度目の点滴が外されました。
先生からは以下のような話がありました。
- 点滴再開前よりも動脈管は限りなく小さくなっていて、しばらくは様子見で良いだろう
- この点滴は副作用が強いため普通は繰り返し使えないが、この子は副作用がほとんど出ず通常よりも長く投薬治療を行った
- 動脈管開存症の手術は比較的簡単なものだが、もちろんリスクはある
- 手術するにしてももっと大きくなってからなら胸を開かずに、リスクの低い足の付根からカテーテルを入れる方法が採れる
前回よりも動脈管はさらに小さくなっていると聞き安心していました。
……が、変化はすぐに訪れることになります。
生後1ヶ月頃
増えない体重
気が付けば子どもが産まれてから1ヶ月が経過していました。体重も1,000gを超えました。
700gから1,000gは大人からすれば誤差の範囲ですが、超未熟児にとっては着実に成長していることを実感させる数字です。
オムツのサイズも5Sから4Sに上がりました。
しかし気にかかることもありました。点滴を外してから体重がほとんど増えません。特に直近1週間はわずか3gの増加です。
小さな赤ちゃんにとっては、おしっこをする前後、ミルクを摂取する前後、など測るタイミングで体重は変わります。しかし、この時期は1週間で30gほどの増加を見せていたので心配な状況でした。
先生や看護師さんに聞いてみても「様子見ですね」としか言われず、実際問題として体重が増えない原因をすぐに突き止められるわけでもありません。
というわけでヤキモキした1週間を過ごしていました。
突然の動脈管開存症手術
その日、私は午後から仕事だったので午前中に家でゴロゴロしていました。
すると妻の携帯電話が鳴りました。
すぐに電話を取った妻は
「はい....はい...」
と相槌を打っています。その様子で病院からだと分かりました。
電話を終え、
「明日、動脈管の手術だって。今日超音波検査で診たら動脈菅が開いてきてて、体重増えてないことを考えると体に負担がかかってるだろうから、だって。」
と妻は言いました。
ついに来たか、と思いました。未熟児に対する処置は緊急で行われることも多いと知ってはいましたが、実際にこれだけ急に決まると気が気ではありません。
次の日、私たちは朝から病院へむかいました。
そこでは心臓外科の先生と麻酔科の先生から手術に関する説明がそれぞれありました。
まず心臓外科。執刀医は優しそうな男性医師で、私たちは知りませんでしたが動脈管開存症と診断されてから新生児科と連携してずっと経過を確認していたようです。
先生からは改めて動脈管開存症の説明をされました。
- 赤ちゃんがお腹の中にいる間は肺呼吸をしないため肺にたくさんの血液を送る必要がなく、動脈管を経由して肺動脈から大動脈へ血液をバイパスしている。
- 生まれてからは肺呼吸に変わるため本来は動脈管が閉じ、大動脈と肺動脈は分離する。
- しかし動脈管が閉じない場合、大動脈から肺動脈へ血液が流れ込み肺に負担がかかり、さらに他の臓器に血液が行き届かず体全体に負担がかかる。
- 動脈管が開いていると聴診器から心雑音が聞こえる。この子もそれなりに聴こえている。
そして今日の手術の術式とそれに伴うリスクの説明がありました。
- 動脈管を糸で縛り強制的に閉じる手術を行う。
- 体が小さく前から胸を切り開けないので、左の脇を切り開く。大人の指が3本入るかどうかぐらいの大きさ。
- この手術は数多く行われ容易な術式だが、リスクはゼロではない。次のようなリスクがある。
- 脇から切り開く場合、そのままでは心臓が見えないため肺を押し退けて術野を確保する必要がある。強く肺を圧迫してしまうと肺出血する可能性がある。
- 動脈管の近くには声帯に関する神経があり、手術中にこれを傷つけてしまうと声がかすれたり、声を出しにくいといった後遺症が残る可能性がある。
- 特に患者が女性の場合、脇を切り開いたことにより胸の形が歪になることが稀に起きる。ただ、これは成長してみないと分からない。
- 体に傷を付けることになるため感染症のリスクが上がる。傷口が完全に治るまで注意して経過を見守る必要がある。
事前にインターネットで調べていたこととは言え、やはり医者から直接説明されると不安は大きくなりました。妻は最初は耐えていましたが、最後には泣き出してしまいました。
執刀医の先生は、
「これらのリスクは必ず起こるわけではなく、むしろ可能性は低い。ただし絶対ではないので、ミスを起こさないように自分たちに対する自戒の意味も含めて説明しています。一緒に頑張りましょう。」
と優しく言ってくれました。
続いて麻酔科医の先生からの話があり、今日の手術は全身麻酔で行うため、麻酔をすることによるリスクの説明を受けました。
……だったのですが、麻酔科の先生は前述の心臓外科の先生と違い、かなりサバサバした雰囲気で難しい言葉をそのまま使ってちゃっちゃと説明していきました。
ですので話の内容はほとんど覚えていません。
まあ、妻が泣く暇もないほどあっさりと終わったのでそれはそれで良かったのかもしれません。
手術は何も問題が無ければ3時間(手術そのものが1時間、前後の処置で2時間)で終わるだろうとのことでした。
手術室に移る前の我が子は、普段と変わらずスヤスヤと眠っています。
「こんなに小さい体で全身に麻酔をかけて脇を切り開くのか……」
症例の多い容易な手術とは言え、普通の子が背負わないリスクを背負っている我が子に、申し訳なさを感じました。
いよいよ手術の時間となります。赤ちゃんはまだ人工呼吸器を付けており、一瞬も外すことはできません。手術室に移動するまでは、携帯用の酸素ボンベで看護師さんが酸素を送りながらの移動となりました。
手術室の手間の準備室まで入ると、モニターに患者の名前や生年月日が映し出され、手術チームと私たち両親の間で本人確認が行われました。
私たちの付添はここまで。
「よろしくおねがいします」
と先生方に言って我が子を見送りました。
娘を心配しながらの3時間という時間はあまりにも長かったため、私は控室でパソコンを使ってひたすら別のことをしていました。
そうでもしなければ気持ちが続きません。
「多分、悪いことがあれば看護師さんが来るのだろう」
そう思って、とにかく控室の扉が開かないことを祈っていました。
手術が始まって2時間が経った頃。順調に行っていれば手術はもう終わっているはず……
そんなことを考えていると扉が開き、執刀医の先生がやってきました。
「お話したとおりの内容で、問題なく手術は終わりました」
その言葉を聞いて心底安心しました。もちろんこれで全て終わりではなく、体に傷を付けた以上は感染症のリスクも上がるため今後も注意して経過を診ていく必要がありますが、まずはホッとしました。
ちなみに動脈管の太さは約3mmで、細いように感じますがそれなりの太さだということでした。
それから更に1時間が経ち看護師さんがやってきて、手術後の処置が全て終わったことを知らせてくれました。
NICUに行くと、手術前と何ら変わらずにうつ伏せで体を丸めてスヤスヤ眠る娘がいました。
切り開いたであろう脇の部分はガーゼで覆われて傷口は見えませんが、手術後1日ほどは血溜まりができる可能性があるため、ガーゼの下から血液排出用の管が伸びていまいした。
私と妻は泣きながら「頑張ったね、偉いね」と娘に声をかけました。
次の日の面会で執刀医の先生に出くわし、「心雑音も消えてキレイな心音になりました」と言われました。
その後は体重の増加もまた軌道に乗り、娘は生後1ヶ月(在胎30週)にして初めての手術を無事に乗り越えました。