人工呼吸器の抜管と恐怖のカンガルーケア

こんにちは。

これは以下の一連の出来事を記した15記事目です。

生後1ヶ月前半頃(在胎30週頃)

人工呼吸器の抜管

動脈管開存症の手術後、娘の経過は順調でした。感染症も起きず体重も増えていきました。

この頃人工呼吸器の抜管という大きなイベントがありました。

人の肺が完成するのは在胎34週頃。未熟児はその前に産まれてくるため自力で呼吸ができません。娘も産まれた直後から人工呼吸器でここまで生き長らえてきました。

とは言っても、まだ在胎で言えば31週頃。いきなり何も無くなるわけではなく、鼻から酸素を送る鼻マスクになります。ただ、口から管を通す人工呼吸器と鼻マスクとではやはり大きな違いがあります。

その一つに声が出せるという点があります。人工呼吸器は口から管を通すため声帯が圧迫され、声をだすことはできません。私たちは分娩室で産声を聞いて以来、ずっと娘の声を聞いていませんでした。


一方で、人工呼吸器の抜管が必ずしも1回で成功するわけではありません。鼻マスクになった途端に呼吸の状況が悪くなり、また人工呼吸器に戻るということもありえます。


とにかく鼻マスクになって、その鼻マスクが取れればNICUからGCUへ移動することができます。そうすれば退院もだんだんと見えてくる、ということで人工呼吸器の抜管は大きなステップアップです。



娘は幸いにも、1回で人工呼吸器の抜管に成功しました。

日中はほとんど鼻マスクを付けていますが、体を洗う時など少しの間は外すことができ、何も付けていない顔を見ることができました。

また人工呼吸器を外したばかりではまだほとんど声は出ませんが、眠っている時にほんの微かに保育器の中から

「んーーーっ」

と唸り声が聞こえてくるようになりました。

生後1ヶ月半頃(在胎31週頃)

産まれた時ぶりの泣き声

動脈管開存症の手術から2週間が経ち、脇から背中にかけて貼られていたガーゼが取られました。はっきりと分かるくらいには傷跡が残っていますが思ったよりも小さく、後は成長してどうなるか見守っていくしかありません。

ガーゼが取れたため、ペットボトルのシャワーで体を洗うようになったのですが、娘はこれにびっくりしたようでシャワーをかけると泣き出しました。

小さな小さな泣き声ですが、1ヶ月半前に分娩室で聞いた以来の泣き声です。

少しずつ、前に進んでいるんだということを実感しました。

鼻マスク卒業

鼻マスクを付けてから1週間が経った頃、なんと鼻マスクが取れました。勝手に「1ヶ月くらいは鼻マスクなのかな」と想像していたので驚きました。

とは言ってもまだまだ酸素の補助は必要で、今度はカニューレと呼ばれる鼻の周りに酸素を送る器具が取り付けられました。また、四六時中カニューレでいられるわけではなく、呼吸状態を見ながら疲れてきたら酸素マスクに変えるという感じだったようです。

ただ、日中に私たちが面会に訪れる際はほとんどカニューレで、夜から明け方にかけて鼻マスクとしているようでした。幸いなことにカニューレに切り替わってからは、私たちは一度も酸素マスクに戻った姿を見ませんでした。

ついに服を着る

鼻マスクが取れたと同時に大きなステップアップがありました。それは保育器の屋根が取れたことです。

これまでは赤ちゃんの周りの温度を母胎と同じにするために、屋根の付いた保育器の中で温度管理されていましたが、保育器の温度が徐々に室温に近づいていき、ついに屋根が外れました。

これはとても大きな変化でした。今までは保育器の扉を開けてそこから腕だけ入れて娘に触れてきましたが、屋根が取れれば隔てるものは何もありません。


そして屋根が取れたことで服を着ることになりました。

産まれて以来、娘はオムツ一丁で過ごして来ましたが屋根が取れて室温の環境に出たため、服が必要です。放っておけば勝手に病衣を着せてもらえますがこれは保険適用外でレンタル料がかかるため、自分たちで購入した服を持ち込みました。

と言っても西松屋などには超未熟児で産まれた子用の服は売っていません。ですので新生児用の短肌着を着せます。

短肌着は本来、上半身を覆うための下着ですがまだ体重1,200gほどの娘にとってはブカブカで全身がすっぽり覆われてしまう大きさでした。


服が着れるようになって嬉しい半面、やっぱりまだまだ小さいんだなと少しさびしい気持ちにもなりました。

生後1ヶ月後半頃(在胎32~33週頃)

初めての抱っこ

体重が1,300gを超えた頃、初めて抱っこできることになりました。妻は一足先に抱っこをしていて、感動で泣いてしまったと言っていました。

私はと言うと泣くことはしませんでしたが

「抱っこできる日が来るなんて……」

と、なんとも言えない、感慨深いものを感じていました。

普通に産まれていれば普通にできたはずのこと。それを私たちはできませんでした。

でも妻の懸命な毎日の搾乳と面会、そして娘の生命力で手術や人工呼吸器の抜管を乗り越えて、直に触れられるところまで来た。

体重はわずか1,300gで、正期産の赤ちゃんの3分の1程度しかありませんが、それはずっしりと重く、大きな存在に感じました。

カンガルーケア

未熟児で産まれてしまった赤ちゃんたちにはカンガルーケアという特別なケアが行われます。

これは父親または母親が前開きの服を着用し、向かい合う形で赤ちゃんを胸元からスポット服の中に入れて抱っこするケアです。名前の通り袋に入れるカンガルーをイメージしたものと思われます。

カンガルーケアは両親の体温や心音を直に赤ちゃんに伝えることで赤ちゃんに安心感を与えると共にそれが免疫力向上に繋がる、とされています。


これまた妻は一足先に実践しており私は二番煎じになりました。

小さな娘を直肌で抱っこするのは、何とも言えない幸福感がありました。娘は(たぶん)安心してスヤスヤと眠っていて、私もそれにつられて眠ってしまっていました。


……と、これだけならカンガルーケアは何回でも、いつまでもやっていたいと思わせるものですが、私はカンガルーケアに怖さを感じました。

カンガルーケアはだいたい30分ほど行われますが、その間保育器の周りには仕切りで囲われ外からはモニターだけが見えるようになります。つまり医師や看護師が同じ部屋にいるとは言え、まだカニューレを付けたいつ容態が変化するかも分からない未熟児と親だけの空間になるのです。

これがまあ恐ろしい。正直に言って自分の子が眠っているのか、息が止まっているのか、分かりません。さらに心音を取るためのモニターケーブルはよく外れ、そのたびにアラームが鳴るのですがそれが単にケーブルが外れたからなのか、異常が起きているからなのかは素人目には分かりません。


これは余談ですが、私たちが通っていた病院のNICUに勤務する看護師さんたちは少しアラームが鳴ったくらいでは確認にきません。おそらく何かしらの判断基準があるとは思うのですが、けっこう鳴っていても来ません。

「え、大丈夫なのこれ?」

とこちらがヤキモキして呼ぶとやって来て、

「これは大丈夫ですよー」

と言って、アラームを切っていきます。「本当にヤバイときはどんなアラームが鳴るんだろう」と不思議でしたが、幸いにも私はそのような緊急の場面に出くわすことはありませんでした。


実際私のカンガルーケアでは、もう終わろうとして看護師さんを呼んだ際に看護師さんが娘の背中を擦って

「今落ちてましたね!でも自分で戻ってきて偉いね!」

と言いました。つまり呼吸が止まっていたということです。鼻マスクが取れたばかりの未熟児にはよくあることですが、それまでずっと呼吸を助けてもらっていた未熟児は、時々呼吸するのを忘れてしまうらしいです。

看護師さんは何の気なしに言っていましたが、その言葉に私は青ざめました。


と言うことで、私のカンガルーケアは後にも先にもこれ1度切りとなりました。



ちなみにどこからか、このカンガルーケアの話を聞きつけた正期産で産んだご両親が自宅でカンガルーケアを試みることがあるようです。しかし、本来仰向けで抱っこする新生児をうつ伏せに近い形で抱っこするカンガルーケアは赤ちゃんの首の角度を調節して軌道を確保するなどが必要で、医療の専門家がいない場所で実施するのは大変危険です。

身近にカンガルーケアに挑もうとする人がいたら、ぜひ止めてあげてください。

未熟児網膜症は発症する……?

28週未満ので産まれた未熟児の90%以上が発症するとされる未熟児網膜症。

未熟児は目が成長し切るより前に酸素の投与が始まることで、目の毛細血管が「これだけ酸素があるならもう成長しなくてOK」と判断し、血管の成長が止まってしまう病気です。最悪の場合には失明、そうでなくても弱視となる可能性があります。

それを防ぐために病状が進行している場合にはレーザー治療を行うのですが、そこまでの治療が必要になるのは発症したうちの10%程度で、残りの90%は自然治癒に向かいます。


先生からは

「早ければ30週頃から発症するため、その頃から週1で検査します」

と言われていました。


この検査、具体的に何をしているのか分かりませんが、とにかくNICU/GCUの赤ちゃんたちにとっては恐怖らしく、この世の終わりが来たかのように泣き出します。私たちの娘も例外ではないようですが、一度も検査の現場には立ち会いませんでした。

最終的に未熟児網膜症は発症し経過観察になるのですが、この頃は大きな病状の進行は無かったようです。(「ようです」というのは、目の検査については特に結果を伝えられていなかったため、発症しているのも退院してから分かったことでした)



動脈管開存症の手術以降、娘の成長が目に見えて分かるようになり、だんだんと不安が和らいでいくのを感じていました。

不安がゼロになることはありませんでしたが、この頃からは退院への期待も出始めて気持ちが軽くなったことを覚えています。