こんにちは。
これは以下一連の出来事の13記事目です。
今回は具体的な出来事ではなく、子どもが生まれて数週間頃に思っていたことを書いています。正直、うまく言葉にできていないし自分でも何が言いたいのか良くわかりませんが、とりあえず書きました。
『妊娠・出産は奇跡』
あらゆる関門をくぐり抜け生まれてくる人間の生命がいかに神秘的であるものかを表現した言葉です。実際、生物学的に見ればそうなんだろうし、実際に子どもが生まれてくることはとても不思議で神秘的なものだとも思います。
ですが私は、1年間の不妊治療と在胎25週で超未熟児が生まれた経験を通して、この言葉が嫌いになりました。
この言葉は常にポジティブなイメージで語られ、妊娠・出産の素晴らしさを伝えます。しかしそのイメージの中に不妊治療での妊娠は含まれるでしょうか?出生体重が1,000gに満たない超未熟児の出産は入っているでしょうか?
おそらく、入っていないでしょう。私も子どもが生まれるまではそうでした。
奇跡とは本来「めったに起こらないこと」を意味する言葉です。ですが『妊娠・出産は奇跡』という言葉の裏で多くの人は「普通に妊娠して元気な赤ちゃんを産む」ことをイメージしています。
みんなポジティブな部分に着目して、将来の計画に「○歳ぐらいには第一子を産んで……」と自然に語り、妊娠して安定期に入れば元気な赤ちゃんが生まれることを疑わず「赤ちゃんができました」と周知し、実際にそのほとんどが「母子ともに健康です」と報告する。
不妊治療と超未熟児の出産を経験した私たちから見えるその光景は奇跡でもなんでもありません。みんな「普通に妊娠して普通に出産する人たち」でした。
逆に、日本で不妊とされる人たちは全体の10%(*1)、早産の割合は総出産数の5%(*2)とされています。さらに私たちのように在胎25週という初期の早産となる割合ははもっともっと少ないでしょう。
数字から言えばこっちの方が、「普通に妊娠できず普通に出産できないこと」の方が、よほど”奇跡的な確率”と言えます。
ですが私はこの”奇跡”を喜ぶことはありません。子どもが大きな問題無く退院してくれた今でも、この奇跡の出来事を前向きに捉えることはできません。
あの恐ろしい日々の記憶と、この先の不安。いつまで続くのかはわかりませんが「こんな奇跡、起きてほしくなかった」と思い続けています。
もう一つ、心を刺す”奇跡”と呼ばれる出来事がありました。
子どもが生まれて数週間経った頃に、
「日本で生まれた世界最小の赤ちゃんが無事退院」
というニュースが報道され、数ヶ月の入院を経て大きな後遺症も無く退院したその赤ちゃんをメディアでは「奇跡の子」「奇跡の退院」と呼んでいました。
もちろんこの赤ちゃんの退院は素晴らしいことですし、ご家族の苦悩は私たちと比べ物にならないほど大きかったはずで、本当に心から良かったと思っています。
そしてニュースから世間に伝わるイメージも『小さく生まれても大丈夫』という、ざっくりとした前向きなものです。
しかし「奇跡の子」「奇跡の退院」とは裏を返せば、「奇跡が起きなければ何の異常も無く元気に退院することはできない」ことを意味しています。この報道の裏には奇跡が起きなかったたくさんの子がいるはずです。
自分の子がどうのような状態で退院するか分からなかった当時、私はこの報道を見て「自分の子が”奇跡じゃない”方だったら……」と暗い気持ちになっていました。
『妊娠・出産は奇跡』……
私たちのような境遇で産まれた子を「奇跡の子!」ともてはやして欲しいわけではありませんし、超未熟児とその家族を常に気遣って欲しいわけでもありません。
またこの記事に私が記した考えもあくまで私個人のものであり、言葉の受け取り方は同じ超未熟児を持つ親でもそれぞれだと思います。
ただ「普通に子どもを授かり普通に出産できること」は奇跡なんてありふれた言葉に収まらないほど、かけがえのない大きな意味があることなんだと知ってほしい。
「そんなこと分かってる」
と言われるかも知れませんが、本人かとても身近な人ににそのような経験がなければ、そして実際に直面している不安を知らなければ、おそらく分かっていません。
あなたが経験した、あるいは経験するであろう普通の妊娠・出産は、あなたにとって、パートナーにとって、身内にとって、赤ちゃんにとって、本当に素晴らしいことです。あなたが思うよりもとても尊いものです。
その「普通」を心の底から欲して、でも手に入らず、戻ることもできない人が、あなたの見えないところに必ずいます。
だから、元気に子どもが産まれて家にいてくれる当たり前の日常がどれほど凄いことなのかを、時々は立ち止まって考えてみてください。
そしてほんの少しでいいので「そうはならない人たちがいる」ことにも気付いてもらえると、嬉しいです。