運命の日 妊娠25週で救急車による緊急搬送

こんにちは。

これは以下の一連のできごとの7つ目の記事です。

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点滴を外したとたんに子宮頸管長が4cmから1.2cmに縮んでしまった入院中の妻。点滴を再開してから1週間後、週に一度の診察の日となりました。

私はその前日に妻と面会しており、その時の妻は「今週はこれまで以上に安静にしてたし、頸管長戻っている気がする!」と謎の自信を見せていました。ちなみに子宮頸管長というのは測定の仕方によって診断される数値に違いはあれど、一度短くなったものが元に戻るということは無いようです。

妻もそんなことは分かっていたと思いますが、とにかく前向きに考えようとしていたのだと思います。


私も”妊娠24週で子宮頸管長が1.2cm”というのが異常な短さだと分かっていたので、妻からの診察結果の連絡を今や遅しと待っていました。

その時電話が鳴りました。妻からでした。

嫌な予感がしました。

LINEがあるこのご時世、急ぐ必要のない連絡であればわざわざ電話する必要はありません。つまりこれは、悪い知らせなのだ、と。


「子宮口が開きかけてるって。搬送先はまだ決まってないけど出産可能なNICUのある病院に転院になる。今から病院に来て。」


と妻から伝えられました。

パニックでした。電話先の妻の声は落ち着いているように聞こえましたが、どう考えても異常事態です。上司には妻が入院した時点で事情を説明していたため、簡単に話して私は急いで会社を出ました。


病院に駆けつけると、妻はベッドの上で横になっていました。もっと取り乱しているのかと思いましたが、思いの外落ち着いています。

「動いちゃいけないから、持ってきたもの全部袋に入れてちょうだい。」

妻は私に身の回りの片付けを頼みました。この時既に2ヶ月間入院していたものですから、持ち込んだ荷物は大量にありました。持ってきたカバンや紙袋だけでは足りず、病院からも紙袋をもらってとにかく大急ぎで詰め込みます。


間もなくして看護師が入ってきて、

「転院先が◯◯病院に決まりました。もうすぐ救急車が来るので車椅子に乗ってください。旦那さんは救急車に乗れないので、荷物を持って別途向かってください。」

と言われました。

どう考えても一度に運べる量の荷物では無かったので、半分はこのまま病院に置いてもらって後日取りに来ることにしました。


車椅子に乗せられる前に妻は「せっかくお話するようになったので」と言いながら、隣のベッドの患者さんとLINEの交換をしていました。

看護師が車椅子を持ってきて妻を乗せ、そのまま病室から出ていきます。私も同室の方々に軽く挨拶しながら後を追います。病室のそばの待合室まで救急隊員が来てくれるというので妻はそこで待機していました。


妻は、泣いていました。

無理もありません。

2ヶ月間点滴の副作用に耐え、何度も刺し直す注射の痛みに耐え、食べるのが大好きなのに質素な病院食に耐え、退院が見えた矢先に点滴が再開してもなお頑張ろうとしていたのに、今にも赤ちゃんが生まれて来てしまうかもしれない。

冷静でいられるはずがありません。これまでの妻の努力と忍耐を考えるとこの時の妻がどれほどの恐怖と戦っていたのか、夫の私でさえも想像がつきませんでした。

さっき同室の患者さんにと連絡先を交換したのも、一人では抱えきれない切迫早産に対する恐怖を抱いていたからでしょう。


救急隊員がやってきて妻をストレッチャーに乗せます。救急車が出たのを見て、私もタクシーに乗り込み病院へ向かいました。



転院先の病院は元の病院から車で15分程の場所にある、県内で有数の”総合周産期母子医療センター”に指定されている病院で、妊娠22週からの早産に対応できる設備・体制を備えています。

私が病院に着くと、妻の付き添いで救急車に乗り込んだ元担当医師と出くわしました。急いでいたので大して話することもありませんでしたが、その医師は帰りのタクシーを拾うのに必死になっていました。

なんとも言えない、憤りというか、呆れというか、負の感情が湧いてきました。

「どんどん点滴量を減らしていったのはなぜ?」「夜お腹が痛いと言ったのにNSTをしなかったのはなぜ?」「先週の時点でこの事態を予測できなかったのか?」「先週1度しか診察しなかったのはなぜ?」

聞きたいことは山のようにありましたが、それどころではありませんでした。


転院先の病院の事務員さんに案内され産科病棟に着くと、妻は診察中ということで病棟の待合室で待機していました。

15分ほどして看護師さんが現れました。


「急なことで驚かれたと思いますが、今すぐどうって分けではありませんので。」


という話を聞いて少しホッとしていました。しかしこの「今すぐ」という言葉はそのまま言葉どおりの意味だと、この後知ることになります。



分娩室のようなところに案内されると、妻は分娩台の上に座っていました。

救急車に乗る前よりもだいぶ落ち着いています。おそらく私と同じように「今すぐ、ということではない」と聞いたのだと思います。


「ここの看護師さんたち凄い!処置がテキパキして速いし、点滴もあっという間に刺してた!痛くなかった!」


と絶賛していました。

先ほどの看護師さんが入ってきて「先生が来るまで少し時間がかかるのでお昼を食べてください。旦那さんも下のコンビニで買ってきてここで食べてもらって大丈夫です。」と言われ、そのとおりに私はコンビニへ向かいます。

コンビニから戻ると妻には病院の食事が運ばれていました。それは私の目から見ても、前にいた病院よりも美味しそうに見えました。

妻は、

「美味しい!!前の病院と全然違う!!」

と言いながら嬉しそうに食べています。

さらには

「また一緒にお昼食べれるなんて思わなかった」

と泣き出しました。

「いやいやそれどころじゃないだろう」と私は笑い、救急車で搬送されたにも関わらずこの時点で二人ともどこか安心していたようでした。

しかしその安心感は、間もなくして崩れ去ります。


昼食を終えて程なくして、産科の先生がやってきました。

とても優しそうな男性医師で、不妊治療を始めてから現在に至るまでの詳しい経過を問診していきます。そして一通り聞き終わり、運ばれてきた時の妻の容態を踏まえて次のようなことをお話されました。

  • 子宮頸管長は0cmで子宮口は開いている。ただし今時点では中が薄っすら見えるか見えないか、という程度。
  • 今日ではないが明日、明後日には生まれてもおかしくない状態。
  • 現在、絨毛膜羊膜炎 が発症している。絨毛膜下血腫が進行したもので、当院での早産原因の2~3割を占めるメジャーな症状。
  • 不妊治療でxxxx(名前忘れました)という薬を使っているが、これを使うと絨毛膜下血腫が起こりやすい。
  • エコー(?)で診たところ、血のカスが羊水内に浮いていることが分かる。これが絨毛膜羊膜炎を示す典型。
  • 血のカスはそこまで大量ではないが、ある程度は浮いていてそれなりに症状は進行している。
  • 血液(血のカス)は細菌にとって絶好の感染源となるため、このままだと胎児に感染する恐れがある。
  • 母体に高熱が出ているわけではないので現時点で胎内感染の可能性は低いと思う。
  • 前の病院での経過報告には「入院直後に妻に微熱があったことから2回抗生物質を投与。その後の経過は順調。」となっているが、その後の数値を見る限り何をもって「順調」と判断したのかは当院としては疑問。
  • 炎症反応が上がったりさがったりしており、最初に絨毛膜下血腫で入院した時から相当不安定な状態でここまで来ている。
  • ウテメリンの点滴を続けているが、おそらく効果は無い。 先週再開したにも関わらず症状が進んでいることが何よりの証拠。
  • 点滴を外したタイミングで子宮頸管長が短くなったのは偶然、もしくは絨毛膜羊膜炎で胎内環境が悪いため胎児が「ここにいるのは限界」と訴えているのだと思う。
  • このため病院としては 点滴をすぐにでも外したいが、妻が「点滴を外したから子宮頸管長が短くなった」と考えてしまうのも無理はないので強制はしない。
  • 仮に明日以降生まれた場合を考慮して少しでも予後を良くするため、今日と明日の2回ステロイドを投与する。これは胎児の肺の成長を促進する薬で、24時間くらいで効いてくる。
  • ただし肺そのものは完成していないので、明日以降生まれたとしても産声をあげることはできない。


どう受け止めて良いのか分かりませんでした。


まず絨毛膜羊膜炎の話や経過が不安定であることは前の病院で一切聞かされていませんでした。それにあんなに我慢して点けていた点滴に”意味がない”とは、とても信じられません。

そして何より、今日ではないけれど明日には赤ちゃんが生まれてきてしまうかもしれないということ。妻は今妊娠25週、エコーで見た胎児の体重はわずか800g。こんな状況で生まれてきて命は助かるのか。助かったとしても後遺症が残るのか。それはどの程度なのか。


聞きたいこと、聞かなければならないことはたくさんあったはずですが、先生からの話を理解するだけで精一杯でした。


妻は説明を聞きながらボロボロ泣いていました。看護師さんが優しく励ましてくれていました。

妻はこのままMFICU(*1)に入院することになります。入院準備のため看護師さんたちが一度出ていきました。


処置室で2人になった私たちは途方に暮れていました。すると一度泣き止んだ妻が、

「ごめんね……私と結婚しなきゃこんなことにはならなかったのにね。」

と、またボロボロと泣き出しました。

こんなに辛い言葉が現実にあるんだな、と心臓が潰されるかのようでした。


妻は精神的にも肉体的にも辛い不妊治療に耐え、切迫流産の恐怖に耐え、入院生活に耐えてきました。ここまで来たのは妻の努力と忍耐があったからなんです。それにどうやったら今の状況を回避できたのか、なんていう答えはありません。

でも妻は自責の念に駆られています。

二人が望んだ子どもだったのに、ようやく授かった子どもだったのに。

「もし結婚しなければ」「もし子どもを望まなければ」

そんなことを考えてしまうほどこの時の妻は、そして私も絶望の淵に立たされていました。


「大丈夫。お医者さんも看護師さんも頼れそうだし、設備も凄い病院なんだから。」


私も泣きながらとにかく前向きな言葉を口にしていました。



MFICUのため妻が入院するのは個室です。室内には窓もテレビもあり、収納棚も多くトイレ、洗面台など、部屋の外に出なくてもほとんどの生活ができる環境が整えられていました。また部屋の中にNSTの機械や医療器具が個別に設置されているなど体制も万全で心強い半面、「本当に重症なんだな」と不安も増しました。

病棟内の一通りの説明を受けた後に再び先生がやってきました。この時に何を話したのかあまり覚えていないのですが、妻が「何とか28週くらいまでもたせられないか?」と言ったのに対して「28週までは無理だと思うよ」と苦笑いしていました。

一番驚いたのが「どのくらい安静にしていれば良いですか?もう動かない方が良いですか?」という質問に対して、

「安静にしている必要はないよ。切迫早産だから安静にしなければならない、という話は特に根拠が無い。普通にシャワーも浴びて良い。走り回るのは無しね(笑)」

と答えたことです。

”安静にする必要はない”という驚愕の事実。もちろん、もう生まれてもおかしくない状況だからあまり意味が無いというのもあるのでしょうが、私たちの質問を笑い飛ばす先生を見てなぜか少し気が楽になっていました。


そしてウテメリンの点滴を外すかどうか、ということについてはどうしても妻の不安が拭えません。

緊急搬送されてきてから、この病院の先生や看護師さんの処置を見て私たちは既に全幅の信頼を置いていたのですが、

「点滴を外したタイミングで子宮頸管長が短くなったのは偶然」

という説明だけが妻はどうしても納得できず、「次に点滴を外したらそのまま陣痛が来る」と考えているようでした。

結局私たちは結論が出せず、今日のところはそのまま点滴を続けることになりました。


最後に1本目のステロイド投与となりました。「筋肉注射だからかなり痛い」と看護師さんは言っていたのですが、何本もの点滴に耐えてきた妻は何ともなかったようで驚かれていました。

ここまでで処置は終りとなりました。


その後は夕食となり、私も病室でお弁当を食べました。妻はさっそく、元の病院で同じ部屋だった患者さんたちとLINEのグループで連絡を取り合っていました。詳しい容態は話さず、とにかく前の病院と比べて食事が美味しいということをアピールしていたようです。


私は妻と何を話したのかは覚えていませんが、あまり泣いたりはしなかった気がします。

会社の上司に連絡し、私はとりあえずあと2日間は会社を休むことにしました。この病院は24時間365日面会が可能ですが、家族の宿泊はできないため夜22時頃に私は病院を後にしました。

タクシーで帰宅し、ベッドに入ったのは日付が変わって1時頃だったと思います。

しかし「今この瞬間に陣痛が始まって病院から電話が来るのではないか」という心配が止まらず、この夜はほとんど眠れませんでした。

*1:母体胎児集中治療室。ハイリスク妊娠の母体・胎児に対応するための設備。