こんにちは。
これは以下の一連の出来事の8記事目です。 blog.wackwack.net
緊急搬送2日目
前の病院との決別
妻が緊急搬送された翌日、私は妻が最初に入院していた病院に立ち寄り、入院費用の支払いと前日に運びきれなかった荷物を引き取りました。
妻は既にこの病院の患者では無いので当たり前といえば当たり前なのですが、ナースステーションに荷物を取りに行っても容態などは一切聞かれませんでした。
今でも、「絨毛膜下血腫は落ち着いた」という診断や「夜にNSTすると言って忘れさられていた」こと、「診察は週に1度という”決まり”だからできない」と言って子宮頸管長が短くなることを見逃したこと、など、この病院の一連の対応は医療ミスと言っていいものだと考えています。
しかしそれを責めたところで事態が良くなるわけでもありませんし、転院先の病院の先生も「何かをしていればこれが防げた、とは言えない」とのことだったので責任を追求するのは難しいでしょう。ただ、自分の知り合いがこの産院を選んだとしたら断固反対するのは言うまでもありません。
2ヶ月間通った病院に虚しさを抱えつつ「もう二度とこの病院には来ないだろう」と思いながらその場を後にしました。
再び産婦人科の先生からの説明
この日、転院先の病院には午前10時頃着きました。
朝の診察で先生から妻に再び話があったようで、私も話聞くため先生に来ていただきました。話の内容は前日に聞いたものと同じ部分が多かったのですが、以下のようなお話がありました。
- 子宮口はまだ完全に開いてはいないが、昨日よりも経過は進んでいる。
- 昨日より経過が進んでいることから、やはり点滴の効力は無いと思う。
- 改めてこれまでの経過を見たが、かなり不安定な経過。むしろこの経過で25週まで来たことが驚きで、もっと早くダメになっていてもおかしくない。
- 幸い胎児の体重は週数相当であり、向きも正常なので今日・明日お産になっても万全の状態で出産できる。
- 羊水に血のカスが浮いていて胎内環境が良くないことから、点滴を外してお産になるようであればそれは胎児がこれ以上中にいられないということであり、出してあげた方が良い。これは担当医だけの判断ではなく、チーム全体での意見。
- ただ、昨日も言ったとおり「点滴を外したから経過が進んだ」という妻の不安も分かるため、無理強いはしない。
- 切迫早産となった場合、日本のほとんどの産院では今回のような点滴治療が取られるが、世界的に見れば一般的ではない。
- 日本の点滴治療で使われる薬品は海外ではあくまで痛み止めとして使われ、四六時中点滴漬けにすることはほとんどない。
- また昨日言ったとおり「切迫早産はとにかく安静を保つべき」というのも根拠は無い。
- 前の病院で「落ち着いたら飲み薬にする」という話があったようだが、飲み薬に期待できる効果は無い。この薬は血中に溶け込ませることで症状を改善する薬のため点滴でなければ意味がない。飲み薬は時間が経てばまた経過が進むことになる。
「25週までもったことが驚き」
この言葉を聞いて涙が溢れてきました。
今の私たちは間違いなくどん底にいます。それでも、今出産可能な状況にあるのは、妻の忍耐とお腹の子の頑張りがあったから。それが分かって、ほんの少しだけ気持ちが軽くなりました。
さらに海外のエビデンスや国内の実情を理路整然と話す先生の姿に、改めて「この病院なら信用できる」と思いました。それと同時に「はじめからこっちに来ていれば……」という考えもよぎりました。
直近の課題として、私たちは「点滴を続けるか否か」を決めなければなりませんでした。
「意味は無いけれどとりあえず点滴を続けよう」で済めば、簡単です。しかし絨毛膜羊膜炎が進行していて胎児が限界に近いという話を聞く限り、「お腹の中に閉じ込めておく方が悪い」とも考えられます。先生は昨日の診断では胎児への細菌感染の可能性は低いと言っていたものの、絶対ではありませんし、症状がさらに進行すれば感染症のリスクは上がります。
このままお腹に閉じ込めておくことと、25週で出産すること、どちらを選択したとしても大きなリスクを伴うのは間違いありません。どちらに転んだとしても地獄が待っています。
この時点で私の中では「もう何が良いのか自分たちでは判断できないから、専門家であるお医者さんたちの言う通り、点滴を外して備えるしかない」という考えに至っていましたが、やはり妻は最後の最後まで迷っており、またも決断は先延ばしとなりました。
新生児科の先生からのお話
この日の午後、新生児科の先生から話を聞くことになっていました。
『新生児科』……名前の通り生まれて間もない赤ちゃんの面倒を見る専門科です。この病院では産科と新生児科が同じ病棟にあり、出産と同時に未熟児のケアを始められるように密に連携が取られています。
病室にやってきたのはベテランに見える男性医師で、ひょうひょうとした雰囲気でした。この時点では担当医ではありませんでしたが、後にこの先生が生まれた子の担当になりました。
新生児科の先生のお話の目的は、端的に言うと 「生まれた子に対する処置について、出生前に保護者の同意書を得ること」 です。
未熟児は容態が変わりやすく、かつ急変した場合には一刻の猶予も許されません。その時になって保護者の同意を待つこともできないことも多々あります。そのため、生まれた子に今後起こりうる症状やその対処方法を保護者に説明し、サインをもらっておくのです。
この時お腹の子は25週。先生は「25週で生まれたとして」という前提で次のとおり話をされました。その話はこれまでの人生で最も恐ろしく、一生忘れることのできないものになりました。
【生まれてくる子について】
- ”未熟児”という呼び名は正式には『低出生体重児』という病名で、出生体重ごとに以下のとおり分類される。
- お腹の子はエコーで約800gであるため、超低出生体重児に分類される。
- ただし医師が重視するのは体重よりも週数。(これは産科の先生にも言われていました)
- ここ5年で25週での出産後の予後は劇的に改善されている。
- 1週でも1日でも多くお腹にいた方が良いのは間違いないが、(先生の)経験上では予後に最も大きく違いが出るのが24週と25週。
- だから、経過が不安定ながら25週まで持たせられたことは大きい。
- 25週で生まれた場合の生存率は90%~95%。
【生まれた直後に発症している症状】
未熟児は体のあらゆる器官が未熟なまま生まれてくるため、生まれた時点で診断される症状があるとのことでした。
- 呼吸窮迫症候群
- 肺が完成するのが34週頃のため、肺呼吸に必要な”サーファクタント”という物質が作れず肺呼吸できない状態。
- 人工呼吸器を入れてサーファクタントを肺にばら撒く処置をする。
- 動脈管開存症
- 心臓の肺動脈と大動脈をつなぐ”動脈管”が開きっぱなしになっている状態。
- 正期産であっても全員開いているが、通常はおおよそ半日から1日で閉じる。
- 本来は36週以降に閉じるように設計されているため、閉じない事自体は異常ではないが、お腹から出た以上は動脈管が閉じないと心臓に負担がかかり他の臓器にも影響が出る。
- 未熟児全体の50%が閉じない。
- 閉じない場合はまず薬の投与が行われ、それでも閉じない場合には胸を開いて動脈管を縛る外科的手術が行われる。手術になる割合は未熟児全体の30%ほど。
【生まれてから5日間ぐらいで起こり得る症状】
この生後5日間(あるいは生後100時間)に起こる症状が、その後に大きく影響すると言われているようです。
- 脳室内出血
- 原因不明の脳室内の出血。
- 出血には大小あり、当然出血が大きいほどその後に影響が出る可能性が高い。
- 発症した時点で対処方法は無く、経過を観察し体が大きくなってからの対応になる。
- 壊死性腸炎
- 未熟児と言えども生まれたからには母乳で栄養を接種する必要があり、その際に腸が消化不良を起こすことがある。
- 経過観察で済むこともあれば、最悪は腸の切除を行うこともある。
- 黄疸:
- 血液中の”ビリルビン”の濃度が高くなることで皮膚が黄色くなる症状。
- 青い光線を照射する治療が行われる。
【生後数週間で発生する症状】
在胎28週~33週相当で起こりうる症状です。
- 無呼吸
- 順調に経過が進むと最初の人工呼吸器を外して酸素マスクに切り替わるが、自発呼吸に慣れていない未熟児は無意識に呼吸が停止してしまうことがある。
- 基本的には軽い刺激(体を揺するなど)を与えて回復させるが、状況によっては人工呼吸器に戻すなどする。
- 脳室周囲白質軟化症
- 脳室内の細部が壊死してしまう症状で運動障害(麻痺)が起こる。
- 在胎32週未満の未熟児に多い。
- 即効的な治療方法は無い。
- 未熟児網膜症
- 網膜の毛細血管の成長が途中で止まり、最悪の場合失明につながる。
- 生後4週頃から眼底検査を行い、必要に応じてレーザー治療を実施する。
- 在胎28週未満の未熟児に多く見られる。
- (これは後に眼科の先生からあった話)超未熟児での発症率は90%で、そのうちの90%は自然治癒する。
【長期的な見通し】
- 後遺症の可能性について
- 慢性肺疾患
- 未熟児は総じて肺が弱い傾向にある。
- 入院期間中は人工呼吸器から鼻マスク、カニューレと段階を追って軽くしていくが改善しきれない場合には自宅に酸素を持ち帰る可能性がある。
- 日常生活に支障が無い程度まで回復したとしても、煙草等は絶対NG。命に関わる。
- 妻の「寝たきりになる子もいるのか」という質問に対して
- 年間で1人くらいはいる(これがこの病院でなのか、日本全体でなのかはわかりませんでした)が、それは「自宅で急に出てきてしまった」とか、そういうレベルの場合。
- 現時点でMFICUに入院して産科も新生児科も準備万端な状態で出産するのであれば、そこまでの状態になることは考えにくい。
振り返ってみてもこの日が精神的に最も辛い日だったのは間違いありません。
「未熟児が生まれるとは、どういうことなのか。」
それを叩きつけられた瞬間でした。
医師としては「最悪の場合まで含めて話をしている」「可能性が低くても"絶対大丈夫"ということは言えない」ということは分かっていましたが、あまりにも具体的で恐ろしい言葉が並んでいました。
特に痛感したのは在胎週数による予後の違いです。「25週まで来たことは大きい」と先生は言ってくれましたが、私たちはせめて「28週までいてほしかった」と悔やんでいました。
何で見たかは覚えていません。ドラマかもしれないし漫画かもしれないし、ネットの情報だったかもしれません。とにかく私たちには「28週を過ぎると障害が残る可能性はグッと減る」という認識がありました。さらに言えば「30週を過ぎればよほどのことが無ければ、早く生まれてもほとんど大丈夫」というような情報もありました。
一言で”未熟児”と言っても在胎週数によって天と地ほどの差があります。もちろん、何週であっても早産になった親は地獄のような苦しみを味わいます。ですが、在胎25週の私たちにとっては28週や30週での早産は「羨ましい」と言えるものでした。
これらの話は、私たちがぼんやりと抱いていた恐怖をはっきりと形あるものにし、私たちがそれでも必死に思い描いていた明るい未来をかき消していくようでした。
私は恐ろしさのあまり、質問をすることができませんでした。早くこの場から解放されたいと思っていました。
ですが妻は違いました。
「障害が残る可能性は」「寝たきりになることはあるのか」「歩けるようになるのか」
ということを躊躇なく聞いていました。
これらの質問に対して先生は「絶対ないとは言えない」として包み隠さず話をしてくれて、その一方で話す内容や「生きていく上では問題ない」「まあ、そんなに心配しなくても大丈夫」と言った雰囲気があり、少しだけ気持ちが楽になったのを覚えています。
新生児科の話が終わり2回目のステロイドを打った後、私と妻は話し合って翌日の午前中に点滴を外すことに決めました。
悩みに悩みましたが、絨毛膜羊膜炎になっていることと産科の先生の話しぶりから「もはやお腹の中に留めておくことが良いわけではない」と感じたことと、新生児科の先生の話まで聞いた上でこの病院の先生たちを信じるしかない、という結論になりました。
20時頃に病院を出て車に乗り込んだ私は、この先に待ち受けている得も知れぬ恐怖に嗚咽していました。
「いつになれば、この苦悩から解放されるんだろう」
不妊治療を受けていた時と同じような、しかしそれとは比べ物にならないほどの絶望を抱えていました。
子どもを望んたことが間違いだったのだろうか。不妊治療を受けてまで望むべきではなかったのだろうか。不妊治療を受けなければ、これほどまでに辛い思いをせずに済んだではないか。子どもができないことに絶望しつつも夫婦2人で楽しく人生を歩めたのではないか。……そもそも2人の出会いが、結婚が間違いだったのか。
頭の中はぐちゃぐちゃで、自分の人生のありとあらゆるものが間違っていたかのような気さえしてきます。
「障害を持つ子の親になるかもしれない」
そんな覚悟なんて全くできないまま帰路に着きました。