受け入れがたい「不妊」という現実

こんにちは。

以下で紹介している一連の出来事の1記事目です。

blog.wackwack.net

今回は私たち夫婦が不妊治療を始めるまでの経緯、その時感じていたことを振り返っていきます。


私たち夫婦が通常の”妊活”を開始したのは私が28歳、妻が32歳の頃。第1子の平均出産年齢からすれば妻が若くはない認識はあり、結婚式が終わった直後から取り組み始めました。

もともと具体的に何人ほしいなどは考えておらず「2人ぐらいいると楽しいだろうけど、自分たちは若くもないし、1人だけでも来てくれればいいね」といった感じで、少なくとも”子どもがほしい”という点だけお互いの共通認識として持っていました。


その時点の私の不妊に対する認識は、

  • 高齢になるほど、特に35歳以降は妊娠率が下がる
  • 日本での不妊割合は約10%(妊娠を望む夫婦10組あたり1組が不妊
  • 避妊していないにも関わらず1年間妊娠に至らない場合は不妊とみなされる
  • 女性だけが原因ではなく、男性原因の不妊もある
  • 人工授精とか体外受精とかいろいろ治療方法がある
  • 不妊治療は高額になりがち

という程度でした。不妊に悩む人が一定数いるという認識はありましたが、自分の周りには望んでいるにも関わらず子宝に恵まれていない知り合いがほとんどおらず(いたかもしれないが、少なくともそのような認識は無く)、よく聞く言葉で「自分たちは大丈夫だろう」という根拠のない思い込みをしていました。


……と言いつつも、私自身は極度の心配性、ネガティブ思考のため「もしかすると」という考えは常に頭の片隅にありました。

最初の3ヶ月ほどは「今回はできているかもしれない!」と胸踊らせていましたが、4ヶ月、5ヶ月頃から徐々に不安が募り「今回もダメだったか」と落胆するようになりました。

そうして、

「もしかして、不妊ってやつなのかな……」

と思うようになりました。この頃から、表情には出しませんが妻の生理の到来に過剰に反応するようになりました。 毎月訪れる、妻がナプキンを破る音が心臓を引き裂く音に聞こえました。

しかしこのことについて妻に話す気にはなれず、妻からも話はしてきませんでした。この時点で二人とも薄っすらと気付いていたはずですが、その事実に向合うことを恐れて「まだ大丈夫かな」と問題を先延ばしにしていました。


いつの間にか”不妊の可能性”について考えない日は無くなり、あらゆるものに対して「子どもがいるかいないか」を気にするようになっていました。

例えばよく見ていたテレビ番組に『働く女性がきれいになる!』というコーナーがありましたが、毎回それに出てくる女性を見て「この人は子どもいるのかな?」と考えるようになっていました。

それは現実に限らずドラマの設定まで気にするようになり、『妻が出産で里帰り中に浮気をする夫』という人物に対しては、

「ち◯こもぎ取られて天涯孤独で死んでしまえ!」

と心の中で怒り狂っていました。フィクションの世界だとは分かっているのに、「なんでこいつは何の問題もなく子どもを作れて、それでなお妻を裏切り自分の欲望を追い求めるのだろう」と行き場の無い怒りに駆られていました。


モヤモヤしたまま1年半が経ち、「不妊」と診断されるには十分な期間が経過してしまいました。

しかし私はまだ妻に言い出せずにいました。

「そんな話をしたら妻が傷つくのではないか」

不妊治療は原因が妻・夫どちらにあるにしろ、その負担は妻が受ける。そんな無理をさせてまで子どもを望むべきなのか」

などと考えていました。しかしこれらは建前で、結局何らかの犠牲を払って先に進まなければ行けない現実を恐れていたのだと思います。


モヤモヤうじうじしていたそんな時、妻がぼそっと不妊なのかもしれない。病院を探してみようかな。」と口にしました。私もそれに同意して、妻の方で病院をピックアップすることに。

その後、妻がすぐに話しを進めることはなく数週間ほど間が空きました。

「焦っている様子もないし、自分が思うほど妻は気にしていなかったのかもしれない。」

などと勝手に考えていた日の夜。晩ご飯を食べたあと妻がいくつかの病院の名前を書いたメモを持ってきました。

妻の手は震え、泣いていました。

「そうだよね、辛いよね。恐いよね。ごめんね。」

まったく効き目が無いであろう月並みな励ましをして、一番通いやすく実績も高そうな不妊専門のクリニックに予約を入れることにしました。妊活を始めてから約1年8ヶ月、ついに不妊治療への一歩目を踏み出しました。