日々を生きるヒントに溢れた禅の世界ー『理工学部卒のお坊さんが教えてくれた、こころが晴れる禅ことば』

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理工学部卒のお坊さんが教えてくれた、こころが晴れる禅ことば

理工学部卒のお坊さんが教えてくれた、こころが晴れる禅ことば

著者のお坊さんは元々理工学部で、先行はコンピュータサイエンス
家業を継ぐため禅を習い始めたところ、禅は「論理的な思考によって導き出された生活の教え」だと気付いたと語ります。


私自身、「仏教」だとか「禅」だとかは正直馴染みがなく宗教の一種程度にしか思っていませんでした。
ですが本書を読むと、「仏教」や「禅」は他の宗教とは一線を画し、日常生活に基づいた「生きるためのヒント」なのだということがよく分かりました。


仏教とは

今から2,500年前にインドでお釈迦様によって開かれた教え。
お釈迦様は元々一国の王子でありながら、人生の苦しみから逃がれ安心を得るために悟りを開いたと言われています。

イスラム教やキリスト教など他の宗教と仏教との最大の違いは、「絶対者」がいないということです。
仏教は神様や指導者といった絶対の存在を信仰するのではなく、お釈迦様という実際に存在した人間の生き方を習いそれを信頼し、自分の生き方に反映させるための教えです。


禅とは

お釈迦様の説いた時代のインドの仏教に最も近いと言われる、仏教の一派。
よく聞く「坐禅」とは、お釈迦様が悟りを得た際にしていた姿のことを言います。

禅には「禅語」という仏教の教えを言葉にしたものが無数に存在します。
これは特定の人物の言葉でなはなく、昔のお坊さんから詩人まで先の時代の人たちが後世へ伝えるために残した「生き方のヒント」です。


禅ことば

本書では31の厳選された「禅語」が紹介されています。
私が特に印象に残ったものをご紹介します。少しでも生き方のヒントになれば幸いです。

日々是好日

毎日は好い一日。
その日「好いことがあった」「悪いことがあった」というのは捉えかた次第。
絶対的に好い一日というものは存在せず、その日が好いか悪いかは自分自身で決められるものである。
「好い一日とわるい好い一日」、これに気づければ毎日を幸せに過ごせるかもしれません。

歩歩是道場

日常こそ、自身を鍛える道場。
何かの目的があるから「これを頑張らなければ、練習しなければ」というだけではなく、毎日のひとつひとつの経験こそが自分を鍛える糧となるもの。
食事をする時は食事をすること、洗濯するときは洗濯すること、というように目の前にある物事に全力で取り組むことこそが自身の成長へ繋がるものなのです。

乾屎橛

汚いものは本当に汚いのか。
「乾屎橛」とは「糞かきベラ」のこと。一般的に糞は汚いものかも知れないが、こと病気の人や赤ちゃんにとっては体調の変化を教えてくれる重要なものになる。

豊かとか貧しいとか、綺麗とか汚いとか、美しいとか醜いとか、それは自分の物差しによる判断でしかなく絶対的に綺麗なもの・汚いものというのはこの世には存在しない。
今私たちが執着しているものは案外大したものではないのかもしれない。

一炷座れば一炷の仏

経験はそのまま良い成長である。
「成功するために頑張る」「頑張っても失敗したら終わり」と結果だけを見るのではなく、頑張りそのものが結果につながっている。たとえ悪い結果が出ようともその過程は必ず良い成長となり自分自身に返ってくる。
まずはやってみる、とりあえず頑張ってみる。今頑張っている自分は輝いている。

明鏡止水

静かな心は美しい。
人の心から煩悩を無くすことはできないが、静かに心を落ち着かせてそれらを沈殿させる。
そうすると曇りのない心が現れ、自分の欲や経験・価値観に依らずに物事を見ることができる。
何もないからこそ見えるものがある。

喫茶去

おもてなしの心。
言葉の意味自体は「お茶をすすめる」ということ。
誰に対しても分け隔てなくお茶をすすめたというお坊さんの言葉であり、取捨選択や良し悪しといった差別の意識を一切断って平等の境地を表したもの。
お茶を飲んだ時のような爽やかな心で見れば、悪いと思えるものも違う一面が見えてくる。

冷暖自知

やってみなけりゃ分からない。
水か熱いか寒いかは、実際に触ってみなければ分からない。
後は触る勇気。行動するしかない。
経験するということは人間の最大の成長だということ。

拈華微笑

以心伝心のこころもち。
たくさんの言葉や表現があっても、自分と相手との気持ちが合わなければ物事を伝えることは難しい。
逆に互いの気持ちを良く分かっていれば、言葉がなくても気持ちは通じる。
相手の掲げた華を見て、自然とにっこり笑みを浮かべる。
コミュニケーションツールに溢れた現代だからこそ、そのようなシンプルな気持ちを忘れてはいけない。

門を開けば落葉多し

繰り返されることの大切さ。
一度掃除をしても次の日にはまた葉が落ちている。常に綺麗になるように掃き続けることに意味がある。
人生常にうまくいくわけではなく、苦しい時にも葉を掃いて変化する環境と共に自身を変化・成長させていくことが必要。
門を開いて落ち葉が永遠になかったらつまらない。一日経てば同じように落ち葉が積もるからこそ、そこに努力が生まれる。

随所に主となれば立処皆真なり

精一杯がんばることで真実を起こす。
どこにおいても何事においても、自身が主人公となればそれは全て真実である。
立場の違いはあれど、自分自身が主体性を持って行動することが何より大切。
主人公とは与えられるものではなく、自分自身がなるべくしてなるもの。

天上天下唯我独尊

私たちはみな尊い存在である。
この広い宇宙において自分という存在は唯一無二のもであり、だから尊い
言葉のまま、自分という存在を大切する教え。

カースト制度の中これを訴えたお釈迦様、そして仏教の信念が感じられる教え。


禅は「今この時を大切にし、生きる教え」

仏教や禅は「こうしなさい」とか人の心を操ったり洗脳したりする教えではありません。
心に不安を持ったとき、人生に迷ったとき、少しだけその言葉を頼って学んでみる。

誰でも気軽に、困ったときに生きるヒントを与えてくれる教えです。


忙しい現代社会、この本を開いて禅の教えを知れば、少しでもあなたのこころを晴らしてくれるかもしれません。