こんにちは。
この記事は以下一連の出来事の最後の記事です。
生後3ヶ月半(在胎40週頃)
青空が広がる5月のある日。娘は退院の日を迎えました。
3ヶ月前、在胎25週で体重わずか700g台で生まれた娘。
体重は2,700gを超え、酸素の持ち帰りもなく目立った症状もありません。生まれた当時、こんな日が迎えられるとは想像もできませんでした。
GCUに娘を迎えにいくと足につけていた酸素モニターが外されました。
妻がどうしても着せたいと言って購入したセレモニードレスを着せてみると、案の定ぶかぶか。まるでクリオネのような姿に笑ってしまいます。
病院に預けていた娘の着替えやオムツや哺乳瓶、冷凍保存してもらっていた母乳を受け取ります。
妻が娘を抱っこすると看護師さんが、
「〇〇ちゃん(娘の名前)、退院です!」
と言って、周りの看護師さんが見送りに集まってくれました。忙しい看護師さんたちの手を止めるのは気が引けましたが、誰にも気づかれず退院というのも寂しいですから、嬉しいような恥ずかしいような気持ちでした。
ちなみにこの日は担当の先生が不在でしたが、本当にこの病院では産科の先生、小児科の先生そして看護師さんたちに助けられました。
医療に関わる仕事がいかに尊く重要なものなのかを身をもって感じましたし、それと同時に現代医療技術の進歩の凄まじさを目の当たりにし、きっとこの先もたくさんの命を救ってくれるはずだと強く思います。
NICU/GCUの入り口まで看護師さんたちに見送られ娘は初めて病室の外に出ました。と言っても、そんなことはまるで気にせずスヤスヤと眠っていました。
病院のエレベーターで1階に降ります。3ヶ月前に妻が緊急搬送されて来た時には絶望を感じさせた院内の風景も、今は慣れ親しんだ温かい風景に変わりました。
退院の日はなんとなくのイメージとして病院の入口あたりで家族3人の記念写真を撮ってもらう、というのがあったのですが、その日は日曜日で1階には人っ子一人おらず断念しました。
というか仮に誰かいたとしてもお見舞いや面会に来ているわけですから、そんな方に写真撮影を頼めるわけはないな、と今にして思います。
既に桜は散ってしまっていましたがとてもいい天気の日に、娘は初めて外の空気に触れました。
すこし暑いぐらいでしたが外に出ても相変わらずスヤスヤと眠っています。チャイルドシートに乗せたところでようやく起きました。
チャイルドシートは事前に予習してきたとは言え、娘はまだまだ体が小さく「これで乗せ方あってるの?」と妻とオロオロしながらなんとか乗せました。
こうして家族3人そろって家に帰ることができました。
この日は娘が生まれてからちょうど100日目であり、本来の出産予定日でした。
いま思うこと
ということで、不妊治療に始まって妻の切迫早産による入院、超未熟児の出産から退院までの振り返りはここまでとなります。
本当は1ヶ月ぐらいでまとめたかったのですが、いろいろと忙しく気が付けば娘が退院してから3ヶ月が経とうとしています。成長はまだまだ追いつきませんが、何とか体重も増えていき、毎日少しずつ娘の変化を見ていくのが楽しいです。
娘の入院中は時間が過ぎるのがとても長く感じましたが、退院した今は逆にメチャクチャ早く感じます。体感で2~3倍ぐらい早いです。
妻への感謝
不妊治療に切迫早産、超未熟児の出産を経験した今、改めて感じるのは妻への感謝です。
不妊治療では2度の手術を受け、採卵や自己注射など辛い治療に耐えました。頻繁に病院へ行かなければならず少なからず仕事にも影響を与えました。上司に話をするのはどんなに嫌だったろうと思います。
努力が実ってようやく命を授かったかと思えば3度の切迫流産、からの長期入院。点滴漬けの生活に繰り返される注射。腕には今でも注射跡が残っています。一人で過ごす病院の辛さや恐怖は、私にも想像がつきません。
そしてその辛さに耐えたにもかかわらず、25週での緊急転院と出産。計り知れない不安を抱えながらも、娘が生まれてからの100日間、妻は1日も欠かさず娘と面会してくれました。おっぱいを飲んでくれる子はいなくても搾乳を続けひたすら母乳を冷凍し、病院に運び続けました。
妻の努力と愛情が無ければ娘を授かることは無かったし、ここまで元気に退院してくれることも無かったと思います。
もちろん全ての未熟児のお母さんが毎日面会に行けるわけではなく、だからと言って愛情が薄いわけでもありません。そういう意味では私たちは比較的恵まれた環境にいたのだと思いますが、それでも妻が娘に注いだ愛情は計り知れません。
また娘を授かる前、授かったあと、そして生まれた後。その時々の妻を見てきて思うのは、娘に対する愛情では私は決して妻に敵わないということです。
もちろん私にとっても人生の再優先事項は娘であり、愛しています。
ですが妻が娘に向ける愛は底が知れません。もし普通に妊娠して普通に出産していたら、そのことには気づかなかったかもしれません。今回あまりにも辛い経験をしてきたからこそ、理屈では説明ができない、血で繋がった母と子の強い結びつきを感じました。
娘への感謝
そしてもちろん、娘にも感謝しています。
治療しなければまず助からない状態で生まれてきて、間もなく体にメスを入れるような手術をさせてしまうことにもなりました。現在は自然治癒に向かっているとはいえ、未熟児網膜症の診察も続いています。
また退院すれば終わりではなく、むしろここからが始まりです。
同時期に生まれた普通の子たちはとっくに首が座り、離乳食も始まる頃です。対する娘の成長はまだ生後3ヶ月弱で首も座っていません。そんな状況で同じ学年として保育園に通い、小学校にあがります。集団の中で普通に過ごしていけるのかは分かりません。
これから先、小さく生まれたことで辛い思いをさせることもあるかもしれません。そう考えると無事に退院できたとは言え、不安と悔しさと娘への申し訳なさは尽きません。
私達夫婦にも辛いことがまだまだありその度に悩むのだと思います。
それでも、この辛い経験があったからこそ「当たり前なんてものはどこにもない」ということを知ることができました。だからこそ何かができなくても、立派にならなくても、「笑って過ごせる、それだけでとても素晴らしいことだ」と心の底から思えるようになりました。
娘が頑張ったからこそ私も妻も今、毎日を笑って過ごすことができます。
この先、娘の人生がどうなるのか分かりませんが今は娘への感謝の気持ちでいっぱいです。
「こういう感じ」
娘が退院してから私は2週間ほど休みを取り、その間ほとんど外には出ずに家の中で家族3人で過ごしました。
昼下がり、スヤスヤと眠る娘と妻の穏やかな寝顔を眺めていると、
「ああ、こういう感じなんだな」
と安らかな気分になりました。たまたま少し前に見た映画『ローガン』のラストシーン、主人公のローガンの気持ちと完全にリンクしました。私の心境を理解してもらうにはこの映画を見るのが一番です。本編はバイオレンスで少しグロテスクですが、時間があれば見てみてください。
伝えたいこと
ここまで私たち夫婦が経験してきた不妊治療のこと、切迫流産のこと、超未熟児のことを19本の記事で書き連ねてきました。
これまでも何度か書いてきましたが、これらはあくまでも私たちの場合であり、同じく苦しんでいる人たちみんなが同じ状況や心境にいるわけではありません。
おそらく同じように早産を経験した人でも、私の考えが嫌な人もいると思います。それはそれで仕方が無いものです。
ですからここまで書いた内容が同じ境遇にいる方を励ますものであればそれが一番ですが、それよりはむしろ普通に子どもを授かり普通に子どもを産んだ人たちや、未熟児という世界を知らなかった人たちの興味を引けると良いな、と思っています。
「未熟児のことをよく理解してほしい」とか「親切にしてほしい」とか、を望んでいるわけではありません。
ただ、ほんの少しだけでも、
「自分たちにとっての当たり前がそうじゃな人たちがいる」
と気付き、頭の片隅にでもおいてもらえれば、それだけ、でいつかどこかで誰かの心の負担を減らしてあげられるかもしれません。
そして、何気なく過ごす毎日がとても尊く幸せなものだと、ちょっとでも感じてもらえると嬉しいです。