妻の退院と「日本で生まれて良かった」と思ったこと

こんにちは。

この記事は以下の一連のできごとの11番目の記事です。

blog.wackwack.net

生後3日目:お祝い膳

この日、妻には病院から『お祝い膳』が出されました。

あまり内容は覚えていませんがステーキやら焼き魚やらちらし寿司やらケーキやら、美味しそうなものが並んでいました。

元々は食べるのが好きだった妻。分娩予約をする病院も「ご飯が美味しそうなところが良い!」というのを基準にするくらいです。それでも当初の私たちは「リスクを考えて総合病院にしたほうが良い」と考え、ご飯が質素で美味しくない病院を予約しました。


結局はその病院に切迫流産で入院し、今の病院に緊急搬送された妻。

予想外に美味しそうな病院食&お祝い膳。入院してから2ヶ月ぶりの豪勢な食事。しかし100%楽しむことはありません。予想だにしなかった25週での出産。隣に生まれた子はおらず、NICUで管理入院しています。

妻は出産後の退院するまでの数日間、夜中にもNICUを訪れて生まれた子に会いに行っていました。

とにかく少しでも長く、生まれた子のそばにいたいと願う気持ちと先々への不安が入り混じり、居ても立ってもいられなかったのだと思います。


「お祝い膳なんて無くていいから、あと3ヶ月遅く生まれてほしかった……」


この出産はお祝いされるようなことなんだろうか。そんなモヤモヤを抱えたままのお祝い膳になりました。

生後4日目:産後のアンケート

妻の退院の前日、市の保健士さんが妻の病室を訪れ『産後のアンケート』なるものをしていったそうです。

おそらく市で一律実施しているものなのでしょうが、妻はこのアンケートが「トラウマになるレベルで辛かった」と語ります。


まずは自分でアンケート用紙に記入していくのですがそこには、

  • 今回の出産に満足でしたか?
  • 自分を責めたりする気持ちがありますか?

など、早産した母にとっては胸をえぐられるような質問が並んでいたそうです。


さらにそのアンケート記入後、質問ひとつひとつに対して保健士さんが「なぜそう思うのか」を聞き取りしていきます。

そんな話を自分の口でできるわけがありません。ひとまずは子どもが無事に退院してくれた今でも、それらを口にするのは死ぬほど辛いことなのに、出産直後の不安定な精神状態で答えられるものではありません。

聞き取りの途中で限界になった妻は泣きながら、保健士さんに出ていくよう言ったそうです。


ちなみにこの聞き取り調査は、ほとんど同じ内容で退院1週間後の検診でも実施され、その時も同じ結果になりました。

このアンケートに限らず、正期産、早産に関わらず一律同じ対応をする」という行政上の処理がけっこうあります。こっちの気持ちを全部分かってくれとは言いません。制度上どうにもならないこともあるのかもしれません。

それでも、かなりの少数派かもしれないけれど、明らかに心理的な負担になることを何も考えずに行政として執り行うことは、見直してもらいたい。

世の中からは見えにくい、未熟児の親たちの心理的な負担を少しでも減らしてくれるように、減らせなくてもいいから増やさないような対応を望みます。

生後5日目:妻の退院

切迫流産で入院してから2ヶ月後、緊急搬送されてから1週間後、出産から4日後、ついに妻は退院の日を迎えました。

入院生活は2ヶ月にも及んでいたため荷物は大量。とにかく全部紙袋につっこみます。

最初に入院していた病院にはツバでも吐いてやりたい気分でしたが、この病院の看護師さんたちには本当にお世話になり感謝の気持ちでいっぱいでした。

病棟入り口で見送ってもらい、1階に降りる私たち。緊急搬送された妻はどこを通って病室に入ってきたのかも分からなかったため、この時初めて病院の全貌(?)を見たことになります。


2ヶ月ぶりの外の空気に触れた妻。

本当はとても嬉しいものになるはずだったのに、妻に笑顔はありませんでした。NICUに入院した我が子を置いて私と2人だけで家に帰ることは、不妊治療に苦しんでいた頃と変わりません。変わらないどころか、より大きな悔しさと悲しみが押し寄せてきます。

入り口の近くに車を止めて妻を助手席に乗せ、荷物を積みこみます。そうして運転席に乗り込んだ時、妻は泣き出しました。

そこには、切迫流産で緊急入院となった際に持っていたカバンとそれに付けられたマタニティマークのキーホルダーがありました。あと3ヶ月は付けているはずだったマタニティマーク。でもお腹の中にもう赤ちゃんはいません。これからもう付けることも無いでしょう。


「本当はまだお腹にいるはずだったのに……」


妻は泣きながらそう呟きました。失意の中私たちは病院を後にしました。



その日、私にはやることがありました。

  • 出生届の提出
  • 子ども医療費助成の申請
  • 未熟児養育医療給付の申請

『出生届』は子どもが生まれたらみんなすることですが、私たちの母子手帳に書かれた出生体重は700g代という数字。そのページを開いて市の担当者に出すことは、何とも言えない虚しさを感じました。

『子ども医療費助成』も子どもが生まれれば皆さん申請されるものですが、私たちはさらに『未熟児養育医療給付』の申請が必要でした。


『未熟児養育医療給付』は今回初めて知った制度です。

未熟児の場合、生まれた時から24時間体制でNICUに管理入院となり、あらゆる処置を受けます。その費用は莫大なものとなり、健康保険を適用できたとしても患者家族への負担は計り知れません。

そこで未熟児養育医療給付制度があります。この制度は入院が必要と判断された未熟児の医療費について、保険適用後の自己負担額を公費で支払うという制度です。食事(ミルク)やオムツなどは自己負担となりますが、未熟児に対して行われる保険適用内の一般的な処置は自己負担がゼロになります。

実際、私たちの子どもは3ヶ月間入院していたわけですが、請求書を見ると仮に未熟児養育医療給付が無い場合の自己負担額は一月で数百万円にもなります。それがミルクやオムツのみの自己負担で数千円で済むのですから大変ありがたい制度です。

このような制度が無い海外の国ではNICUに入院して破産してしまうケースもあるようです。日本はこのところ少子高齢化や年金の破綻、国際競争力の低下が嘆かれていますが、この未熟児養育医療給付を受けて生まれて初めて心から「日本で良かった」と思いました。


これらの手続きのため、退院して家に帰る途中に役所へ寄りました。

妻は産後であることから役所へは私だけ行こうと考えていたのですが、「私も一緒に行きたい」とのことで二人で行きました。

ただ私が手続きをしている間、妻は何をするでもなく終始ぼーっとしていました。もしかすると一人になるのが嫌だったのかもしれません。入院中はいつでもNICUに行って子どもの様子を見に行けましたが、これからはそうはいきません。

子どもの元から離れると、後悔と先々への不安がより鮮明になってきます。加えていつ子どもの容態が急変して病院から電話がかかってくるか分かりません。

大きな失意と不安を一人で抱えていたくない。そんなこともあって、多少の無理をしてでも一緒にいたかったのではないかと思います。



この日の夜、妻は何ヶ月ぶりかの私の手料理(と言ってもパスタですが)を食べました。しかし笑顔はありません。何をするにも元気がありませんが、3時間おきの搾乳だけは欠かさずに続けます。

そういう私も妻が退院した喜びはどほとんど無くこの日からは、いつ鳴るか分からない電話の恐怖との戦いが幕を開けました。