安定期に起こった3度目の切迫流産と入院生活の始まり

こんにちは。

これは以下の出来事の5つ目の記事です。 blog.wackwack.net

すっかり寒くなった12月初旬。2度の切迫流産を乗り越えてようやく安定期を迎えた頃の話です。

妻は不妊治療の頃から会社を休む事が多く、さらに妊娠初期から切迫流産で自宅安静や緊急入院をしていたため、早い段階で職場には妊娠を報告済みです。一方で私はと言うと「子どもが生まれたら少し休みがほしいし、安定期に入ったら相談がてら上司に報告しよう」と考えており、ちょうど話を切り出すタイミングになっていました。


それは突然のことでした。ある日の仕事中、妻からLINEで連絡が入りました。

「出血したから病院に行ってくる」

妊娠してから3回目、しかも安定期と呼ばれる時期に入ってからの出血です。何となく直感で「これはまずいかもしれない」と感じました。後で妻から話を聞いた限りではこの時の出血は相当な量だったらしく、LINEの文面では分かりませんでしたが妻はかなり動揺しており、会社の机や飲んでいたお茶などを全てそのままにして大慌てで分娩予定の病院に向かいました。


1時間ほどして

「出血止まってて問題無さそうだからお家帰って良いって。明日1日安静にして問題ないなら大丈夫らしい。タクシーで帰ります」

と妻からの連絡がありました。この時点で出血量などを詳しく分かっていなかった私は、「2回目と同じ感じだったのかな。大事にならなくて良かった」などと安心していました。

しかしそのさらに1時間後。妻から

「家に帰ったんだけどまた出血した。」

との連絡がありました。かなり動揺していて私が家に戻るのを待っている余裕も無さそうだったので、妻はタクシーで再び病院へ向かいました。


診察を受けた妻から、


「入院になる。仕事が終わって家に帰ったら入院道具を持って病院に来て。」


と連絡がありました。具体的な日数が書いていなかったことや持っていく道具の指定が細かくあったことから、1日どころでは済まない入院なのだと分かりました。

家に帰った私は、シャンプー、歯ブラシ、化粧水、着替え、タオル、などなどを詰め込み、さらに妻からは大きなサイズのナプキンを買ってくるように頼まれました。私もかなり慌てていて何も気にしていませんでしたが、人生で初めて女性用ナプキンを購入した日です。


病院に着くと妻は既に診察を終え、6人部屋に入っていました。医師の診断書には「絨毛膜下血腫による切迫流産」という書かれています。

”絨毛膜下血腫”とは胎盤の原因不明の出血により胎盤を構成する絨毛膜に血腫(血の塊)ができてしまう症状です。根本的な治療方法は無く、基本的には血腫が胎盤に自然に吸収されるのを待つことになります。

さらに妻の場合、胎盤が子宮口に近い位置にできてしまう前置胎盤"に進行する可能性があるとの話もありました。子宮口に近いまま胎児が大きくなってしまうため早産につながる直接的なリスクがあります。仮に前置胎盤のままお産になった場合には大量出血の危険性があるため、帝王切開での分娩となるのが一般的なようです。

ただし前置胎盤についてはまだ「可能性がある」という段階で、安静にしていることで正常な位置に戻ることもあるため、とにかく今は入院して安静を保たなければならない、とのことでした。


この時点で入院期間は分からない状態で医師からは「最長で妊娠36週まで入院の可能性もある」 と言われていました。

さすがに愕然としました。この時はまだ妊娠16週。産前休暇に入るまでずっと入院するかもしれません。しかし全てはお腹の子のため。入院した(分娩予約をした)病院では出産可能な在胎週数が34週からであったため「とにかく34週まで持たせること」が最大の目標になりました。

そしてそれは長い入院生活の始まりであり、妻にとっては点滴との辛い戦いの幕開けでした。


翌日から私は仕事帰りに妻のお見舞いに行くようにしていたのですが、最初の1週間、とにかく妻は体調が優れませんでした。その原因が2つの点滴です。

一つが"ウテメリン"という子宮の収縮を抑制する薬、もう一つがお腹の張りを抑える"マグセント"という薬でした。切迫流産に対する薬としては非常にメジャーなものらしいのですが、とにかく副作用が強く具体的には「手が震える」「吐き気」「倦怠感」などがあり、満足に食事も摂れず夜も眠れないという状態でした。 その不調っぷりは初期のつわりよりも酷く見えたほどです。

さらに血液検査の結果、炎症反応が確認されたことから抗生物質の点滴も追加され、酷い時で左右の腕に合計3本の点滴が刺さっていました。その姿はあまりにも痛々しく見ているこっちまで辛くなります。

手が震えて箸が使えない、スプーンでご飯を食べても吐いてしまう。さらに妻の血管はかなり細いらしく、看護師さんの注射が複数回失敗したり、点滴が漏れてしまい刺し直しを繰り返すなど、打つ場所が無くなるほど毎日のように点滴を刺し直す生活が続きました。一時期は「この点滴に失敗したら首から刺します」と言われたこともありました。


そうして入院から2週間ほど経った頃、ようやく薬の副作用にも体が慣れてきて、何とかご飯を食べれるくらいには回復していました。妻の退屈な入院生活の改善に向けて、私は本や携帯ゲーム機などを持ち込み、また両親や妻の友人から編み物や折り紙が送られてきました。

まだ点滴はしていましたが、次第に妻の体調は回復し読書に編み物に折り紙にと、入院生活はだんだんと充実していきました。

ミスタードーナツのポンデ・ヨロイヅカが食べたい!」

「クリスマスだしケーキが食べたい!」

「スタバの新作を飲みたい!」


と私に対する注文も増えていきます。さらにこの頃、子どもの性別が女の子であることが分かり、お見舞いに行ったタイミングで心拍確認でお腹の子の心音を聞くこともできました。


順調に回復しているように見えた一方で退院時期はまだ分かっておらず、年末年始は病院で過ごすことが決定的になりました。また問題の血腫ですが「エコーで見るとお腹の子が血腫を枕にして寝ちゃっている」という、微笑ましいのか何なのかよくわからない状態で、医師からは「まだまだ予断を許さない状況だ」と言われていました。

またこの頃、病状とは別に妻の精神的負担となる出来事がありました。それがお見舞いに来てくれたり、心配して連絡をくれる友人・知人からの悪意のない一言です。

例えば「◯◯ちゃん(別の知り合い)の時はこんなことなかったからびっくりした!」とか「ふさぎ込んでもしかたない!元気だそう!」とか、特に何の悪意もなく励まそうとしているのは分かりますが、切迫流産・早産で入院している人は多かれ少なかれ「何で私がこんな目に……」と感じているはずです。

その中でこれらの言葉をかけられても「そんなことは分かっとるわ!!!!」としか思いません。

もちろんその人の性格やタイミングによっては本当に励みになることもあるでしょうが、少なくとも全員がそうではありません。個人的には「お大事に」とか、その程度の声がけでも十分伝わると思います。



とまあ、そんなモヤモヤを抱きつつ年は暮れていきました。ちなみに私はこの時、12月31日に一人さみしくこんな記事を書いていました。

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「無事に生まれて欲しい」と願っていましたが、この時から運命のカウントダウンは静かに迫っていました。