酷いつわりと2度の切迫流産 苦難の連続だった妊娠生活

こんにちは。

この記事は以下の出来事の4つ目の記事です。

blog.wackwack.net

1年に渡る不妊治療で私たち夫婦は生命を授かりました。辛い期間を乗り越えてようやくたどり着いた妊娠生活ですが、当時の私は「嬉しい!」ではなく「無事に出産することができるだろうか」という新たな不安にかられていました。そしてこの不安は現実のものとなり、私達の妊娠生活は苦難の連続でした。



不妊治療で通っていた病院で正式に妊娠判定を受けてから1週間後には秋の大型連休が迫っていました。私たちはこの時期に妊娠することなど全く考えておらず、7連休を取得して飛行機を使った遠方への旅行を計画していました。

しかし妊娠が確定したことで”マタ旅”を強行するかキャンセルするかを決めなければなりません。妊娠判明当初は「まあ、大丈夫でしょう」と謎の自信で行く気満々だったのですが、前日になって特に妻の不安が大きくなり悩みに悩み、結局全てキャンセルすることに。支払い済みだった旅行代は7割ほど払い戻しされたので、前日キャンセルとしては良心的だったと思います。

そして旅行をキャンセルしたことは正解でした。

連休2日目、妻のつわりが始まりました。つわりの酷さは人によって差があることは知っていましたが、これまで経験の無い私から見ても、妻のつわりはそれなりに酷く見えました。

とにかく食べることができない。固形物はほとんど口にできません。食べることができるのはゼリーやお粥のような流動食、そしてフルーツ。私はスーパーで大量のお粥とウィダーinゼリー、そして梨にリンゴにオレンジにブトウと、ありとあらゆるフルーツを買い込んできました。冷蔵庫にあれ程のフルーツをギュウギュウに詰め込んだのは、後にも先にもこの時だけです。

ゼリーやフルーツをどうにか食べれたとしても、少し経つと吐いてしまう。7連休はこの繰り返しでした。妻は美味しいものを食べることが何よりも好きだったため、その楽しみを奪われたつわりの期間は相当辛かったはずです。

それでも「この状態で旅行に行っていたら……」と考えると、キャンセルしていて本当に良かったと思います。体調が悪く観光どころではないし、一日中ホテルのベットで寝ていたでしょう。


そんな連休も残すところあと2日となった日の夜。妻が

「ちょっと血が出てる……」

とボロボロ泣きながらトイレから出てきました。

不妊治療の病院で妊娠判定を受けた日、病院からいただいた冊子には

  • 妊娠初期の少量の出血は、頻繁に見られる症状である。
  • 普段の生理を大幅に上回る出血や腹痛が無い限り、安静にしていれば問題ない。
  • 少量の出血で病院に来られてももできることは無い。

というようなことが書いてあり、そこまで取り乱すことはしませんでしたが、やはり不安は拭えず妻はずっと泣いていました。

幸いにも次の日には出血がほとんど無くなり、連休明けに病院での診察が予定されていたため、翌日には落ち着きを取り戻していました。


しかしその連休明けの診察の日。診察を終えた妻から連絡がありました。


「切迫流産で2週間の自宅安静と言われた。」


”切迫流産”。妊娠初期から妊娠21週までに起こる、流産へとつながる危険な兆候が見られた場合に診断される症状の総称です。その字面から(偏見かもしれませんが)特に男性の中には「流産してしまった」と勘違いする人もいるようです。

切迫流産はそのほとんどが妊娠12週より前に起きる”早期切迫流産”で、妊娠した人の1割が経験し、そのうち9割以上は流産することなく妊娠が継続される、と言われています。ただし切迫流産と診断された以上は”安静”が絶対です。食事とトイレ以外は横になっていることが基本であり、家事は一切すべきではありません。

ということで7連休が明けた矢先、妻は2週間の自宅安静を言い渡されました。この間、食事・洗濯・掃除などの家事類は全て私が担当しましたが、日中は仕事に行かなければならないため、平日のお昼ご飯は冷凍食品やシチューなどの大量に作れるものを多用しました。

なお私自身は決して料理が得意ではなくレパートリーも少ない上、良くなってきたとは言え妻のつわりは治まっておらず妻が食べれる料理は限られていました。そこで私は「大量に作れる」✕「妻が食べることができる」という条件のもと、最初にシチュー、次におでんを作りました。すると妻がこれを非常に気に入り、つわりが始まって以来一番嬉しそうに食事したのです!!また冷凍食品の中でもグラタンをとても気に入っていました。

これに気をよくした私は自宅安静2週目に入り大量の冷凍グラタンを仕入れ、再びおでんとシチューを繰り返しました。すると妻が、

「こんなに同じものばっかり食べられるか!!!!」

と泣きながら訴えてきました。そして辛そうにおでんとシチューを食べていました。今でもおでんやシチューを見ると当時のトラウマが蘇ってくると妻は語ります。あの悲痛な叫びは一生忘れられそうにありません……


そうやって私の努力(?)も実を結び妻は2週間の自宅安静を耐えきり、病院で「問題なし」との診断を受けました。この日が1年間お世話になった不妊治療病院の卒業の日になりました。

そこで決めなければならないのが分娩する病院です。不妊治療でお世話になった医師からは「紹介状を書くので事前に分娩する病院を決めてきてください」と言われていました。

私と妻の実家はどちらも、今暮らす場所からは県外にあります。里帰り出産という選択肢もありましたが「いずれは二人だけで子育てしなければならず、それには夫(私)が早い段階で色々なことに参加する必要がある」という考えから現在住んでいる場所での出産を決めました。

とにかく食べるのが好きな妻は「出産後のお祝い膳が美味しそうな病院が良い!」などと主張していましたが、高齢出産でありリスクに備えた方が良いと説得し、二人の職場から徒歩圏内にある総合病院に決めました。ただしその病院では妊娠36週以前の通常の検診は近くの婦人科で受ける”セミオープンシステム”が導入されていたため、その病院にお世話になるのはまだ先の話……だったはずでした。



自宅安静解禁から1ヶ月ほどが経った頃の休日。私は用事があって一人で外出しており、用事を終えて本屋に立ち寄っていると妻から連絡が入りました。

「なんか出血してる」

焦りました。この時の妻は妊娠12週。妊娠中期に差し掛かった頃ですが、早期切迫流産とは異なり妊娠中期の出血は妊娠継続に大きく影響しかねない、とインターネット等で見聞きしていたためです。

急いで家に帰ると妻が病院へ行く準備をしていました。すぐに病院に電話したところ「入院になる可能性もあるので入院準備をしてきてください」と言われたようです。

まさかこんな事態になるとは考えておらず、当然入院の用意なんてものはありません。とにかくお泊りに必要そうなもの一式を詰め込んで車を走らせました。

病院に着いて妻の診察を待つこと30分。診察室に呼ばれ、

  • 胎児は問題なく出血も治まってきているが、念の為に一晩入院して様子を見る。
  • 切迫流産の診断であり、1週間の自宅安静とする。

との説明を受けました。病院のご飯を食べた妻は「見た目は質素でイマイチだけど美味しい!」と相変わらずご飯のことを気にしていたことを覚えています。

翌日には無事に退院ができ、再びの自宅安静も今回はつわりも無く平穏な安静生活となりました。


「色々あったけど安定期まで進めば、ひとまずは安心だろう」

この時の私はそう思っていました。今思えばこの2回の切迫流産が、これから起こる危機を警鐘していたのかもしれません。