【音楽の皮をかぶった格闘技】映画『セッション』の感想

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こんにちは。

今年のアカデミー作品賞最有力と言われたラ・ラ・ランド。残念ながら作品賞は逃してしまったようですね。(しかも前代未聞の珍事が起きたらしい。)
toyokeizai.net

で、この『ラ・ラ・ランド』のデイミアン・チャゼル監督。若干32歳ですよ、信じられん。


最近この監督のインタビューを見かけたのですがこんなこと言ってました。


「ずっとミュージカル映画作りたかったんだけどさ、今時スポンサーも観客もミュージカル映画に興味示さないでしょ?だから予算かけないで『セッション』を制作してさ、実績を積んだわけ。実績があればみんな興味持ってくれるし、お金も出るでしょ?HAHAHAHAHAHA」(意訳)


ディミアン・チャゼルを一躍有名にした映画『セッション』。低額と言えど制作費は3億円。製作時は28歳。やべぇよこの人。こんな単純明快な目標掲げて実現しちゃう人います?数百万円の案件に頭を抱えている某私と同じ人間とは思えない。


ラ・ラ・ランド』の話題に乗っかり『セッション』がHuluで公開されてたのでさっそく観ました!! www.hulu.jp

あらすじ

名門音楽大学に入学したニーマン (マイルズ・テラー) はフレッチャー (J・K・シモンズ) のバンドにスカウトされる。ここで成功すれば偉大な音楽家になるという野心は叶ったも同然。だが、待ち受けていたのは、天才を生み出すことに取りつかれたフレッチャーの常人には理解できない〈完璧〉を求める狂気のレッスンだった。

Huluより

感想

感想です。

おぉぉぉぉもしれぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!


あ、ちょっと待って。語彙力ないからって立ち去らないで。せっかくだから最後まで読んでいって!


この映画は大学のジャズバンドを舞台にした、音楽で結ばれる師弟の絆を描いたヒューマンドラマ……などでは一切ありません。

この映画は”偉大になること”に異常なまでに取り憑かれた主人公ニーマンと、その若き志を圧倒的戦闘力でぶっ潰しにくる鬼教官フレッチャが、互いに丸裸で己の拳ひとつでぶん殴り合う、音楽の皮を被った格闘技映画です。


”偉大になること”に駆られた主人公ニーマン

まず主人公のニーマン。

国内最高峰の音大に通う。

イケメンってほどではなく、どこか冴えなさそう。しかし冒頭から一生懸命にドラムを叩くその姿には好感を抱く。その頑張りが認められ、鬼教官フレッチャー率いる学院一のジャズバンドにスカウトされ、恋人もできる”青春ドラマ”的な展開。

うんうん、恋とドラムの狭間に揺れるこの感じ、応援しちゃうぞ!

……と思ったのも一瞬のこと。


帰省での親戚との会話をきっかけに、ニーマンが”偉大”になりたい理由が明らかになる。

それは”小さな世界”でふんぞり返っている親戚一同を見返すため。

いとこ一家は大学3部のアメフトリーグでMVPを取ることが、国内一の音大の中でもトップクラスのジャズバンドでドラムを叩くことよりも上だと考える人たちだった。ニーマンはそんな奴らを見返すため”偉大”になりたかった。

だから親戚を汚く罵り、ドラムだけに集中する必要があるから彼女に一方的に別れを告げた。

そう、いとこたちにムカつくところまでは共感できる。でも一方的に彼女を突き放すところから「あ、こいつヤバイかも」と観客は気付く。


そしてここまできて、ニーマンはドラムやジャズがやりたいわけではなく、ただただ”偉大になりたい”だけということが分かる。ドラムはたまたま身近にある偉大になるための道具に過ぎなかった。

それに気付くと、彼の”愛”とは言い難い異常なまでのジャズへの”執念”が最高に不気味に感じる。


そして遂に偉大さに執着したニーマンは取り返しのない事故を起こす。が、それでも彼は血まみれになってステージに登りドラムを叩く。

このシーンに人間の狂気を目の当たりにして鳥肌が立った。

そしてそれまで「かもしれない」レベルだった”ニーマンが常軌を逸している疑惑”が確信に変わった。

「こいつは偉大になるためだったら何でもする、いや偉大になるためには常軌を逸していないといけないと本気で思っている」

と。

究極のサディスト鬼教官のフレッチャ

そしてこいつだ。鬼教官のフレッチャー。

この人はもう見たまんまの鬼教官。

でも普通の映画ならさ、「音楽を愛している」「若い才能を育てたい」というのが根底にある、”実はいい人”パターンで考えるじゃない。

こいつは違う。


ジャズをやる若手をぶっ潰すことしか考えていない。

ただ恐ろしいのは若手が潰れることに快感を感じるとか、何か目的があって潰しているわけではなさそうだということ。この鬼教官は”潰すことそのもの”が目的で、その先に得るものとかは何も考えてない。


まさに純粋な悪。教育者と口が裂けても名乗ることはできない。

が、最悪なことにこの鬼教官、「たまに本当はいい奴に見える」ところが憎たらしい。


ひょんなことからジャズバンドの主奏ドラマーをニーマンに任せたり、練習中に見せた過去の教え子に対する涙、次のバディ・リッチを育てたかったという言葉、お前が必要だという告白。

はい、全部うそ。

最後に二人が見せる全力の殴り合い

結局ニーマンは”偉大になりたい病”に侵されとんでもない事故を起こし、フレッチャーにボッコボコにされてジャズから離れることに。

フレッチャーも同じで今までのいろんな意味での暴力が表沙汰になり学院を追われる。……だけじゃ終わらないのが映画『セッション』。


二人は偶然に出会い、フレッチャーはニーマンを認め彼が必要だと説く。ニーマンもそれに応え封印していたドラムのスティックを握る。そして遂に二人のセッションが始まる……!!


はい、始まりません。


鬼教官フレッチャーは最後の最後まで圧倒的な鬼、いや悪魔だった。

彼はコンサートという衆人環視の前で完膚なきなでにニーマンを叩き潰そうという考えに至り、巧みに引きずり出したのだ。


事前にフレッチャーから聞いていたものと全く違う曲が始まり付いていけないニーマン。哀れな主人公。偏執狂の最後……にはならなかった。

ここまでボッコボコにされたニーマンが完全に覚醒し、今度はフレッチャーをボッコボコに殴りかえす。

フレッチャーが「次はゆっくりな曲と……」とかMCしている側からアップテンポにドラムを勝手に叩くニーマン。

さらにドラムプレイは激化していく。怒涛のソロドラムはまるで一発一発に怒りを込めたボディーブロー。凄い迫力。


そうして全力で拳ひとつで殴り合った2人。ドラムを叩き続けるニーマン。その圧倒的な迫力に遂には微笑むフレッチャー。

狂気の果てに二人の”セッション”が完成した瞬間!!!

これこそディープインパクト。心震えました。

狂気の世界に恐れ興奮する

最後に見事な形でセッションが完成したかのように紹介しましたが、そんなキレイなものではありません。

あれは一種のパンチドランカーです。

もう互いに己を突き通し過ぎて、あるいは相手に殴られすぎて普通じゃいられなくなったんですよ。

常軌を逸したあのステージでドラッグの快感に陥ってしまったのです。


この映画、ジャズを扱っているにも関わらず観客が出てこないんですよね。第三者からの視点がまるでない。あるのはニーマンとフレッチャーから見た世界。

だから全編に渡り重々しく狂った世界が映し出される。

その世界の片鱗に触れた庶民の私は恐れ、興奮するのでした。


ということで生ぬるい青春映画に飽き飽きのあなた!ここにありますよ、最高にドロドロでバチバチで刺激的な映画『セッション』がね!!


『セッション』はHuluで観れますよ〜(小声)