小さな星がほらひとつ

読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ソーシャル・ネットワーク

スポンサーリンク

日曜日に観てきました.
観終わった後の感想は「ん?」という感じ.前評判がかなり良くアカデミー賞にもノミネートされているとあってかなり期待していました.
つまらなくは無かったですが,アカデミー賞ねぇ,って感じでした.

がしかし,そう感じたのは全て己の未熟さ!!
様々な意見を聞いているうちにいかに自分が映画を「眺めているだけ」かということがわかりました.


まず,なぜ観終わった後に「ん?」と感じたかというと,お話っぽくないと思ったからです.画面上での出来事を傍観するだけになってしまっていました.その原因として,
1.主人公に感情移入できない
主人公のマークは天才かつ,何を考えているのかよくわからないんです.だからその行動原理もわからず,「やっぱ天才は違いますね」ってスタンスで観ていました.

2.情報量がハンパない
これは観れば誰もが実感するはず.冒頭の部分で面食らってしまった.そしてそのスピードと情報量を把握するだけで精一杯.
結構今の話は何?とかなっても,考える暇もなく次の展開が襲います.
(自分の頭のできが...ってことになってしまいますがw)

3.そもそも主題を取り違えていた
これが最大の原因かな.
観終わるまで(観終わってからも)この話は,「マークという人物がいかに天才的なのか」とか「フェイスブックの凄さ,それの創りだすソーシャル・ネットワークの凄さ」何だと思っていた.
だから,1.のように結局マークってなんで天才なの?とか,フェイスブックの説明も無いままフワフワと話が終わってしまった感があった.

以上が初めに感想を抱いた原因だと思う.しかし,僕は大きな間違いを犯していた.

盛大な勘違い

1.これは感情移入させるような話じゃない
これは結構指摘されている方もいるようだけど,この映画「作品が観客から一歩距離を置く」作りになっている.
マークが何考えてるとかわからない,とかはその顕著な所.
結局ハーバード・コネクションをパクったのか,イイヤツなのか嫌な奴なのかわからないまま,グレイゾーンで話が終わっている.
ではなぜそんな作りなのか,それは僕にはうまく言えないけど...多分観客一人一人に物語の解釈,マークの人物像を考えさせるためなのかな,という感じはします.
さらに言えば,わけわからんマークだけど,それは誰が見てもあのラストを演出するための対比効果なのかな,とも思ってみたり.
そこを行くと,あのラスト最高!!と言わざるを得ない.少なくとも僕は自分なりにラストが意味することを考えさせられた.

2.テーマはフェイスブックでもなく,SNSでもなく,マーク・ザッカーバーグでもなく「ソーシャル・ネットワーク
そう,これなんだよ.フェイスブックとかどうでもいいんだよ.強いて言えばマークじゃなくてもいいんだよ.というかむしろ話がフィクションなんだから.
話の85%は誇張で15%は偽証なんだから.
この映画のテーマはタイトルそのもの.
ソーシャル・ネットワークとは何なのか,そしてそれは主人公にとってどんなものだったのか.この映画が描きたかったことはそのこと.


とまあ,こんな感じですが当然それぞれの持つ解釈は異なるので,上記はあくまでも僕の感想です.

この映画が描いているラスト.

初めは「Facebook何それ」とか言っていた奴でさえも利用する程にでっかくなった!!という事ぐらいしか思っていなかった...でも現在の見解は次のとおり.


それは,マークにとってのソーシャル・ネットワーク
ソーシャル・ネットワークとは人とのつながりだということ.
マークはフェイスブックによって半端ない数,規模のソーシャル・ネットワークを人々に与えた.
でも,フェイスブックの成長に伴い親友(エドゥアルド),あこがれの存在(ショーン)を失ってしまった.これは彼のソーシャル・ネットワークの損失を意味していると思う.
そしてあのラストシーン.これだけの人にソーシャル・ネットワークを与えておきながら,当の本人は最も望む元恋人(エリカ)とのソーシャル・ネットワークをついには得られないでいる...


ここで話は終わっているので,その先がどうなるのかはわからないけど,現時点でこの話は皮肉とも言えない,悲哀に満ちた青年の青春劇なんです.


あーもう一回観て−.今度はもっときちんと.
とりあえずめちゃめちゃ面白いよ!!